夢オチとは、極端にいい・悪いことが起き、それが結局夢であったと最後にわかるという物語構成である。夢オチを望んだこと、すなわち夢ならよかったのにと思ったことは多々ある。最たるものは四回生の後期の出来事である。
日曜の朝六時、私は両親に大学院進学をやめたいと急にラインで通知した。両親は大いに驚いて「どこも採用を終えているから就職はできない。」と私を止め、私は泣きそうになりながら進学することにした。夢なら覚めろと思った。進学をやめたいと思ったのは、卒業論文さえ書けないのに進学しても破滅すると思ったからだ。自立する現実的な手段として就職を考えずに、短絡的に院進学を決定したのを後悔した。特につらかったのは三つある。一つ目に、自立を考えずに、学者気取りでのんびり暮らしていたことへの恥である。二つ目に、自分がこれまで研究者を目指していたのが無駄だったという虚無感である。三つ目に、自立すべき年なのに親に依存して生きる後ろめたさである。論文が書けずに焦り、恥と虚無と罪悪感にさいなまれ、親の金を使うことが後ろめたくて食べ物さえろくに買えなくなった。
絶望の中で、私は遅い就活を始めた。まずは、基本的な就活の流れ、すなわち自己分析、業界研究、企業研究、インターン・・・という流れを知った。私は焦って、自己分析する前に、十一月に本学主催のオンライン企業説明会に出た。勤務地も業界も絞らず、時間があるときは必ず出て、十社ほどの話(各三十分)を聞いた。自分の将来に向けて、何かしていないと落ち着かなかったからである。説明会に出る中で発見があった。それまでは、「自分たちの生活が多くの人に支えられている」と言葉では知っていたが、実際に誰が何をしているかは知らなかった。説明会で鉄鋼から食品まで様々な企業の話を聞くと、身の回りのものやサービスに多くの人が関与していることがわかった。特に、社会人の仕事の話を聞くと、世の中の仕組みがありありと見えて驚いた。そして、どの会社も社会に貢献することを目標に掲げており、社会に出たら社会に貢献せねばならないのだとわかった。
その一方で、研究者になることもあきらめられなかった。なぜなら、私は高校以来研究者を目指し続けてきたからである。しかし、研究者を目指していながら研究者を具体的に知らなかったので、研究者についても調べた。わかったことは三つある。一つ目に、研究者の具体的な仕事である。研究者は、研究室の仲間や、無数の研究者との対話を繰り返して、自分の研究を進展させる。その成果を論文に書くことで考えを学界に明らかにする。今まで研究は個人プレーだと思っていたが、それが一面的であったことに気づいた。二つ目に、研究者をめぐる状況の厳しさである。博士課程卒業後のポストは少ない。不遇でもやっていく意義と情熱はあるかと自問自答した。三つ目に、研究の社会的意義である。研究者は社会から隔絶した存在ではなく、研究を通して社会に貢献する。どのように、何をもって、どんな貢献をするのかについては未定だったが、何とか自分も社会に貢献がしたいと思うようになった。
十二月には将来について決意した。就職でも研究でも、私は社会に貢献したい、まずは夏までにどちらに行くかよく考え、それ以後は決めた方に専念しよう、と。
大学院進学を後悔するというつらい経験が夢でなかったからこそよかった。理由は二つある。一つ目に、オンラインで就活できたからである。対面式なら行かなかった多数のインターンに出て、自分の知らない企業を多く知った。これは、三回生のコロナ前にはできないことである。二つ目に、自分についてよく考える時間を得た。大学院進学をやめようと思ったことは、研究者を目指し続けた自分の否定であった。一度自分の過去を否定し、これから何ができるかをじっくり考えたことは、なんとなく就活していたらできない経験だろう。自分について、会社について知ることで、自分の行きたい分野を広げることができたと思う。
もしも大学院進学を後悔したのが夢オチだったならば、私は将来をじっくり考える暇もないまま社会に出て、働く意義を見出せずにいたかもしれない。学部卒で就職したほうが時間のロスがなくていいのは当然だが、このつらい経験は何かに生きると思う。
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