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吾輩は院生である


吾輩は院生である。将来の見通しはまだない。これからどうなるかとんと見当もつかぬ。今回は吾輩が大学院に入るまでをお話しする。吾輩は文学部の者だが、他学部の方にも参考になると思う。ただし、説教臭い話が多いのでご注意。脚注は大学生活用語集も兼ねている。


あこがれ

 高校のころから、文学部で歴史の研究をしたいと思っていた。当時は研究とは何かも知らなかったが、研究者にあこがれていた。『文学部唯野教授』を読んで、研究生活の大変さは知っていた。研究生活の大変さ 教授のポストが少ない、年をとっても非正規の非常勤講師の職しかない、それすら得られないなどである。だが、研究へのあこがれは絶てず、研究するなら名門大学だと思って、京都大学を目指した。

 入学後も、研究へのあこがれは絶てなかった。夏休みに研究室訪問があった。文学部では、一回生の夏に系文属を決め、二回生の夏に専修を決める。研究室訪問は、その準備として、研究室で先生方や先輩の話を聞くイベントである。東洋史研究室では、「研究は創作料理や。メニューの決まった定食やない。自分で材料集めて、調理法考えて、一から作らなあかん。」と聞いて、吾輩にそれができるのかを考えてみた。そして、院試の説明会に出たり、文学部の教務さんから院試の過去問を見せてもらったりした。一回生のころは、卒業後に就職も考えて、文学部主催の就活講演にも出た。だが、就職も研究もぼんやりとしか考えていなかった。

 ひとまず、吾輩は歴史基礎文化学系、東洋史専修に進んだ。(二回生の学部英語は系ごとに履修。選んだ系に属さない専修に進むことも可能。)


史料を読む

 二回生では、講読から歴史学の基本を学んだ。一回生のとき、全学共通科目(パンキョー)の単位をほぼ履修し終えたので、二回生のときに時間が余った。(※ 大学では時間がないと言ってはならない。自分より忙しいのに自分より勉強している人が大学にはたくさんいる)両親は、二回生から取れる司書や学芸員科目を履修するよう勧めた。なぜなら、それらの単位をすべて取れば、図書館司書、博物館学芸員の資格が与え、在学中に資格を得られるからだ。しかし、吾輩は親のイメージ「吾輩には文化的なものを扱う静かな仕事が向いている」を否定したくて、勧めを断固拒否して、日本史の講読に出ていた。

講読では史料を読むことを教わった。読むとは漫然と字面を追うことではない。人名や用語を詳しく調べ、史料が作られた背景、その史料・事象の研究史を調べるまでが史料を読むことだ。(研究史とは、先行研究は何を明らかにし、どんな問題があったかをまとめたものである。)予習では、用語を調べ、論文を探した。それにより、歴史書は史料の正確な読解を基本にしていることがよくわかった。そして、史料を読んで、ぼんやりしていた歴史像が具体的にわかることに喜びを覚えた。また、史料を実直に読み解く先生の姿にもあこがれた。


出会い

院生の先輩(以下、彼をAと呼ぶ。) に出会って、吾輩は研究に進むことを決めた。二回生の夏休み、歴史学の発表を聞きに行った。そのとき、たまたまAと出会った。Aは図書館のカウンターでバイトをしていて吾輩を知っていた。そこでAと知り合い、院生と史料を読む会に誘ってもらった。アフター(新歓や勉強会の後に、飲食店で食事・長話すること) で研究の話を聞き、ますます研究にあこがれた。


猪突猛進

三回生で、吾輩は東洋史専修に進んだ。そのころから、吾輩は中国の南北朝時代に関心を持っていた。Aが言っていた『魏晋南北朝』という概説書を読んだことがきっかけである。概説書とは、普通の書店で売られている、研究をわかりやすく説明した本である。例えば、新書、メチエ、講談社学術文庫などだ。特に歴史学では、先人の優れた概説書はいつまでも重視される。その本では、漢帝国崩壊後の無秩序から隋唐帝国が登場するまでが描かれていた。吾輩はそれを読んで感動し、この時代を史料に基づいて明らかにすべく、大学院進学を決意した。一月に先生方の前で卒論のテーマを発表し、南北朝史で卒論を書くことにした。

ただ、研究にあこがれるだけでなく、もっと将来のことを考えておくべきだった。普通は三回生から就職活動を始め、インターンシップや説明会に行き、エントリシート(ES)や志望理由書を書いたり、面接練習をしたりする。ガクチカ(学生時代力を入れたこと)や自己PRには皆苦労するという。だが、吾輩は大学院進学を前提にして、就職活動には見向きもしなかった。就職といえば大企業に勤めることだと思っていて、それは吾輩に向いていないと思っていた。今思うと、せめて就職活動の流れを知り、同級生が何をしているかを知るべきだった。また、大学院に入ってからどうするか、研究者として生活できるのかをもっと考えるべきだった。そもそも、卒業後にどうやって経済的に自立した大人になるかを考えるべきだった。


結論が出ない

 四回生では、卒論が大変だった。論文では、それまでの研究の問題点を指摘し、今まで明らかにされていなかったことを論証せねばならない。歴史学の論文では、史料から読み取れることを正確・簡潔に整理するだけでなく、その史実から当時の国家・社会についてわかることを結論として述べねばならない。吾輩はその両方に苦労した。吾輩の気づいたことは先行研究ですでに明らかにされていることがわかり、あまり研究されていない宋斉革命(南朝の宋から斉への王朝交代)を扱うことにした。だが、先行研究を卒論とどう関連させたらいいかわからず、これといった結論が出なかった。その後、南北朝の外交史を副テーマにし、北朝の史料も読んでいたが、結論は出なかった。(九月の題目提出までに卒論のテーマを何度も変えるべきだった。)

五月にオンライン講義が始まったころから、吾輩は悩み始めた。卒論を書けないときは課題をやってごまかした。講義も自ら学ぶ姿勢に欠け、ただ課題を出すだけだった。大学では講義に出て単位を取るだけでは不十分で、講義中に講義内容から考え、空き時間に自学自習すべきである。しかし、四回生になっても、それができなかった。また、何をすべきかわからず、しばしば無気力になっていた。このころから、吾輩は院に行っていいのか迷い、不安に襲われた。七月に構想発表があった。できたところをまとめたが、結論が出なかった。いつかは結論が出ると自分を過信し、読書して逃避した。


自責

 吾輩は後期から苦しんだ。まず、九月末の中間報告会で傷ついた。結論の出ない卒論草稿を出したら、院生に「羅列だけで結論になっていない」と言われ、かなり傷ついた。研究者として論文を書き続けるのは無理だということ、院に行くべきではなかったことに、吾輩はやっと気づいた。そして、家族に大学院進学をやめたいと告げ、大いに止められた。その後、吾輩は将来のことを真剣に考えなかったことを後悔し、家族への申し訳なさでいっぱいになった。


追い詰められる

 後期になっても、結論を出せず追い詰められた。結論を書けば、空論ではないかと恐れた。空論になるまいと思えば、事実の羅列にすぎぬと思い悩んだ。また、先行研究との違いを言えず、先行研究を読む気力も失った。

 このころから、生活習慣が乱れた。親の金を使うことが後ろめたくなり、レジで後ろに立たれるのが怖くなって、買い物を控えた。そのため、一日の食事を極限まで削り、やせこけた。また、一日中座っているから足が弱まった。足はむくんで発疹とあかぎれを生じ、階段の上り下りで息切れし、夜中に何度も目覚めた。


暗闇のその中で

絶望の中、就職や研究について調べてみた。まずは、『大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル』を読んで、就活の流れを知った。そして、全学共通ポータルのサイバーラーニングスペースで行われていた本学主催の企業説明会に参加してみた。(kulasisのキャリアサポート情報も参考)そこでは、どの企業もいかに社会に貢献するかを述べていた。吾輩は自己の生活のためだけでなく、人間として社会に貢献せねばと思った。

また、研究者になることについて書かれた本を読んで、どういう覚悟が必要なのかを調べてみた。特に、『研究計画書デザイン』が役立った。研究と生活は不可分であること、他者に意見をもらうことの大切さなどを知って、目からうろこが落ちた。吾輩が具体的に研究を知らずに研究者を目指していたことを後悔するとともに、研究者として社会の役に立つことはできないかと思った。


次の課題

 卒論を一二月三〇日に完成させ、二月に大学院入学試験(以下院試と略す)を受けた。院試には受かったが、大学院に入って何をするかが決まらなかった。併願校の面接で「何をやりたいかが決まっていないと苦労する」と諭され、大急ぎで研究課題を探した。そして、四月に研究計画書を出すために、史料と先行研究をざっと眺めた。(文系の場合、他大の大学院を受けると、他大に進学すると勘違いされる。ただし、他大に志望理由書を出すときに、自分はなぜこの研究をやっているのか、これからどうなりたいのかを考えたことは、大いに役立った。)

研究課題を探すときには三つのことに気をつけた。一つ目に、現代を理解するのに役立つこと。二つ目に、自分の原点を思い出すこと。三つ目に、修士課程の二年で論文にすることである。これらに注意して、「魏晋南北朝の廃立」で計画書を提出することにした。ただし、来年一月の修論構想発表会まで、修論のテーマは考え続ける予定である。

 夏までに博士課程に進むか、修士課程で終えて就職するかを決める。(そうでないと就活に間に合わない。) 今のところ、博士課程まで進んで、研究者になりたいと願っている。ひとまず、修論を書くことと、自立した大人になることを目標に、日々精進するしかない。


制作裏話

 本作は去年の新歓冊子の「吾輩は学生である」の続編である。前作から一年を経て、悩み苦しんだ結果をまとめてみた。学部生の方に参考になれば幸いである。


言及した本

アカリク編(二〇一七)『大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル』改訂新版、亜紀書房

川勝義雄(二〇〇三)『魏晋南北朝』講談社学術文庫

筒井康隆(二〇〇〇)『文学部唯野教授』岩波現代文庫

細川英雄(二〇一五)『研究計画書デザイン:大学院入試から修士論文完成まで』増補改訂、東京書籍

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