恋はROM専で
- meishomitei
- 4月15日
- 読了時間: 6分
更新日:5月6日
『恋はROM専で』_ 春花火 (2024 NF)
もうすぐ十八時四十五分になる。
「そろそろだな」
僕はそう呟いて、教室の窓を開けた。七月だから、十九時近いといってもまだ明るく、人もはっきり見える。開けた窓から覗くと、ちょうど部活を終えた生徒たちが、最終下校時刻に急かされるようにして裏門へ向かっているところだった。続いて、体育館へと続く渡り廊下に目を移した。すると、かなり背が高めの男子が一人いた。半袖の制服のシャツを着ていて、筋肉質な左肩にはテニスラケットがかっている。しかし、よく見ると、終始テニスラケットは不規則に跳ねている。より正確には、彼そのものが不規則に跳ねている。足は先ほどから地面に着いては離れてを繰り返しているし、体は上下左右に行ったり来たりしている。足がようやく地面に落ち着いたかと思えば、今度は腕をまくって腕時計を確認しては地面を一瞥した。これを三セットほど繰り返していると、もう一人の人影が現れた。
見ると、ギターケースを背負った制服姿の小柄なポニーテールの女子が一人、不安そうに彼を伺っていた。彼は恐らく気づいていない。
「あの、話ってなに?」
彼女のほうが、少し上ずった声で尋ねると、先ほどの彼は慌てて顔を上げて彼女を見た。そして、数秒ほど硬直した後になんとか声を絞り出した。
「あ、美咲、来てくれてありがと、な」
「うん、で、話ってなによ?あたし、あんまり暇じゃないんだけど?」
「わ、悪い。そうだよな、早く終わらせるわ。呼び出した要件はな、まあ、その、」
「うん、その、なに?」
今度は上ずっているというより、からかっているよう声で彼女は返した。すると彼のほうは苦しそうに深呼吸して
「俺と、付き合ってほしい」
風で石がずれる音以外には、何も聞こえなかった。両者はその場に固まって微動だにしなかった。
「もう、まじで、遅すぎ!こっちはいつまで待ったと思ってんの!」
「え、」
「もう、本当にさ、そんなにチキンなら焼き鳥にでもなっちゃえばいいのに!」
「そ、そのチキンってたぶん鶏って意味じゃないとおも……」
「うるさいな!もう、早く帰るよ!先生たち見回り来ちゃうし!」
「え、返事は?」
ポニーテールの彼女は、彼が地面に放っておいたスクールバッグを拾って、彼に投げながら言った。
「いいにきまってるじゃん!だから、もう帰ろ?」
それからすぐ、二人は裏門のほうに向かっていった。一人は、ぎこちない足取りで、もう一人は、スキップまじりで。しかし、ともに顔を赤くしなが
ら。それは夕日のせいなのか、または、別の理由からかはわからなかったが、きっとその両方だろう。いずれにせよ、これで俺の仕事も終わった。
「はやく撤収しないと」
窓を閉めてから、ほかに僕の痕跡が残っていないかを確認した。
「完璧だな」
僕はそっと教室の扉を閉めて、帰りを急いだ。
「完璧だな、あいつらの青春は」
夕日より眩しいなんて聞いてなかった。
今日の授業はずっと上の空だ。しかし、許してほしい。というか、許されて当然のはずだ。昨日、俺は、一ノ瀬美咲の心を射止めたのだから。正確にはもっと前から、透明な心の糸を手繰り寄せることはできていたのかもしれない。だが、昨日、それにようやく色がついた。俺が、ずっと離さずに持っていた糸の一端を、彼女が持っていてくれたと知れて、本当に嬉しかった。その事実だけで昨日は一睡もできなかった。だから、いま上の空なのは興奮しているからではなくて、単純に眠気によるものだ。
「今日は十五日だから、一プラス五で、江藤君」
え、嘘だろ。十五日で十五番を刺さないとか、犯罪だろ。静まった教室の中、急に俺の心拍だけが上がって今にもその鼓動が教室中に聞こえてしまいそうだった。
「三と六だよ」
左から聞きなれた声がした。今は、その声が神の声かのように聞こえた。見れば、教科書の練習問題を指していた。x
が三でyが六か。いや、助かる。まじで。
「xが三で、y
が六です!」
俺は堂々と大岡先生にそう宣言した。しかし、
「ざんねん。x
とy逆です」
返答はあまりに無情だった。周りからもちらほら笑い声が聞こえた。俺は思わず、左を見た。すると、奴も声をもらさずに笑みをこぼしている。
「あのね、江藤君。いくら梅沢君が優秀だからと言って、彼ばっかに頼っててると馬鹿になるわよ。それに彼だって完璧じゃないんだから。くれぐれも彼を責めないように!あと、もっと集中しなさい!」
俺は嵌められたのだ。大岡先生と左隣の梅沢に。これは、許すまじ。
授業はその後も滞りなく進行して、チャイムが鳴った。左隣の奴は待っていましたとばかりに席を立とうとしたが、当然そんなことは許さない。
「ちょっと待て。穂高よ、なんか言わないといけないことあるよな?」
穂高は、一瞬本当に何ことだかわからないという顔をしたが、すぐ破顔して言った。
「ごめん!勘違いして、解き間違えちゃって、逆にしちゃった!」
「お前に限ってそんなわけあるか。じゃあ、あの笑みは何だ?」
俺もなんだか可笑しくなって、笑いながら問い詰める。
「いや、あれは!答え逆なのによくそんな自信満々に答えられるなあって思って」
「やっぱ確信犯じゃねえか!」
気がつけば、二人ともゲラゲラ笑っていた。
ひとしきり笑ったあと、穂高は、
「まあ、これくらいいじゃん。昨日も上手くいったみたいだし。こっちだって、そんなイケイケのリア充をちょっとくらいいじめる権利は欲しいわ」
「まあ、それくらい許してやらなくもなくもない」
「それ許してないじゃん!あと、なに照れてんの」
「やっぱ表情隠せないか。俺、これでも努力してるんだけど」
やはり、照れてしまう。でも、許してほしい。男ならこれは普通のことだろう。生理現象だ。しかし、穂高には感謝せなばならない。
「まじありがとな、穂高。お前いなかったらたぶんあそこまで踏み込めなかったわ」
「そりゃどうも。その代わり今度また遥ん家遊び行かせてよ。前みたいにまた、タダでマイクラやらせてほしい!」
「それは全然いいけど。てか、一回も金とったことねえだろ!」
恐らくこれは聞こえていないだろう。穂高は颯爽と教室を出ていった。
「まったく、変な奴だ」
恋愛お助け係、とでもいうのだろうか。本人はRead Only Member 専門、略して「ROM専」だといった。要するに、見守るということだそうだ。友達の恋愛相談にタダで乗り、そのうえで的確なアドバイスをしてくれる。そして、告白までの最適なプランを提案してくれる。いかにも胡散臭そうだが、成功率は今のところ俺を入れて十件中十件で、驚異の百パーセント。守秘義務も徹底的に守っていて、信頼と実績を積み重ねている。完全無料なのだが、唯一の条件は、「告白の瞬間を見届けさせること」だ。
まったく、友達の恋愛を手助けするのだけが趣味な奴なんて、聞いたことねぇぞ。自分がしてなんぼのものじゃねぇのかよ。「告白の瞬間を見届けさせること」ってのも、何の得なのか全くわからん。
「まあ、どうでもいいけどさ」
俺は、わざと口に出してそう言ってみた。そう、そんなことはどうでもいい。俺は、いますごく幸せなのだから。
それにしても、今日もどこかで誰かの恋を運んでいるのだろうか。
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