top of page

吾輩は学生である


吾輩は文学部の学生である。将来の見通しはまだない。


つまらない話だが、吾輩の三年間について話す。他学部の読者も時間があれば、見てくださると幸いである。




無気力


一回生のGWごろから、吾輩は五月病とは思えないくらいの無気力感に襲われた。大学には無理して行ったが、講義もつまらなく思えて、寝ないようにするだけで精いっぱいだった。また、何を読むか、本をどう探すかわからずに、自分の関心のあった学問分野についての興味をなくした。 ただ疲れ、週末には電源が切れたかのように動けなくなった。何をしても楽しくなく、ごろごろして月曜日になるのを待っていた。将来の見通しと情熱を持っていた高校時代の友達や、吾輩が勉強していると思っている家族を思うと、つらくて申しわけなかった。


また、英語力は低下の一途で、高校時代の微塵の貯金を使い果たして落ちこぼれると焦った。さらには、大学が学生に牙をむくのを知って大学自体が嫌だった。ボランティアサークルに化けた新興宗教(大学公認サークル)に引き込まれかけて、絶望した。


(補 リーデイングとライティングの講義では英語力の維持に足りない。毎週課せられるGORILLAのテストはリスニング練習に不十分である。青谷正妥先生の著作に脳科学・教育学に基づく英語学習法が載っており必読。)




講義の受け方


無気力になった理由は、講義の受け方にある。言われたことをただ書くだけで、講義中に疑問・感想を持たないから、講義がつまらなくなった。高校の延長で講義を受けていたから、大学の講義の面白さがわからなかった。また、単位欲しさに、また空き時間ができるのが不安で、一日平均四コマくらい入れて疲れ果て、受けただけで満足していた。受験生のノリで、何かせねばとは知っているが、何をしたらいいのかわからなかった。


自学自習しないまま七月になり、テスト勉強やレポートが大変だった。参考文献は早々に借りられ、図書館も人でいっぱいで、レポートの資料が見られなかった。講義内容から広げて考えないから、七月にゼロから始めた。『理科系の作文技術』などを見ないから文章もめちゃくちゃで、参考文献の抜き書きに過ぎないレポートしか書けなかった。




本の探し方を知る


夏休みに入っても本の探し方がわからないので、講義で言われた参考文献を片端から見た。その後、関連ワードをkuline(京都大学図書館検索サイト)に入れて本を探し、しばしば図書館に通った。すると、講義で言われていた内容の面白さがやっとわかり、気の向くままにいろいろな本を見た。(理解するまで熟読=「読む」、ざっと読んで内容を確認=「見る」)


後期からは、講義を聞きながら考えたことをすぐ書き留めるようにした。講義で言われた本、kulineにワードを入れて出てきた本を、持ち歩いているメモに書いて、早めに探して読むようにした。講義を聞いて疑問を持つには、その分野について自分で調べて考えねばならないから、講義で言われた参考文献は早めに読みたい。この二つのことをするだけで、無気力感がかなり減った。




講読から得るもの


一回生のうちに全学共通科目(普通一般教養、パンキョ―)の単位をほぼ取り終えたので、二回生になったら学部科目を多くとろうと思っていた。だが、文学部では、特殊講義の多くは三回生以上配当であり、出ても単位が出ない。吉田南構内からたった十五分で学部棟へ移動する手間も考えて、学部での講義は二回生に残しておいてもよかっただろう。また、単位が出なくても出ればよかったとは思う。(三回生では同じコマに複数の取りたい講義が重なることが多い。)


だが、余った時間で日本史の講読にでて、そこで歴史史料を精読するのが面白かった。講読とは、歴史史料やその分野の専門論文を読む講義形態である。語句の意味や研究史(これまでの研究者が何を明らかにし、何を明らかにしていないのか、何を明らかにすべきか)を調べるのは大変だったが、一つ一つの史料から、何を言っているかわかったり、未知のことを史料から読み取ったりすると、快感を覚えた。また、講読を通して本の探し方を覚えた。研究史を調べるとき、論文の注、研究書の序文の研究史整理を使って、文献を芋づる式に探した。このやり方だと、kulineに打ち込むだけよりも探す効率が上がり、必読文献を見落としにくい。 




卒業論文への道


卒業論文に至るまでの話は、入学当初にさかのぼる。


文学部では、一回生で系、二回生で専修を決める。吾輩の場合、歴史基礎文化学系から、東洋史専修に登録した。吾輩は高校時代から文学部で歴史がやりたいとは思っていたが、自分が歴史系の中のどの専修に進むかも迷っていた。一回生の夏休み中の系分属ガイダンスでは、東洋史と中国文学の研究室を訪ねた。東洋史研究室では、「研究は創作料理や。メニューの決まった定食やない。自分で材料集めて、自分で調理法考えて一から作らなあかん。」と聞いて腑に落ちた。後期に宇佐美文理先生の中国哲学史講義で、目録学の話を聞いているうちに、東洋史が面白そうに見えてきた。(目録学は、漢籍目録の分類学だが、もっと深い。『知の座標』参照)


二回生の夏休みに、歴史学の発表を聞きに行ったときに、大学院の先輩に出会った。その人は図書館バイトのときに吾輩を知っていて、勉強会[一]に誘ってもらった。附属図書館の共同研究室にて夜や休日に行い、終わったら、アフターとして、サイゼリアで夕食を食べながら、歴史について話し続ける。そこで先輩方が六朝時代の話をするのを聞いて、六朝に関心を持ち、教えてもらった『魏晋南北朝』を読んでみた。すると、唐が南北分裂の暗黒時代を経て生まれたことがわかって、中国史の見方が変わった。そして、南北朝時代から中国史を通時的に研究するために、大学院に行こうと思った。


三回生の前期から多くの人は就職活動をする。夢見がちで無計画な吾輩は何もしなかった。(のちに苦しんだことは「吾輩は院生である」二〇二一、四参照) 三回生の夏休みが終わるまでに、『資治通鑑』の南北朝時代の範囲をざっと見ていた。後期は、先生から関連論文を最低二十冊は挙げよと言われ、それらを探した。一月に卒業論文の構想を発表した。地道に史料を読んでデータをまとめること、中国語の論文をもっと読むことが必要だと言われた。今も地道な作業が続いている。時にはつらくもなるが、それでもやはり史料を読むのは楽しい。




 最後に


 一時は無気力でつらかったが、本の探し方と講義の受け方がわかるだけでだいぶ楽になった。また、先輩や先生の支えがあってここまでやってこられたのは言うまでもない。


これからどうなるのかわからないが、吾輩にできることは史料と論文を丹念に読んで論文を書くことだけである。




言及した本の書誌情報


井波陵一(二〇〇三)『知の座標:中国目録学』白帝社


川勝義雄(二〇〇三)『魏晋南北朝』講談社学術文庫


木下是雄(二〇〇二)『理科系の作文技術』改版 中公新書







閲覧数:6回0件のコメント

最新記事

鬼ヶ島の終末

ナカジマ杓子 皆さん予想なさった通り、ほら題名にある通り、舞台は鬼が島である。 諸行無常の理通り、ここにも滅びが訪れる。 もたらされるは一つの予言。島一番のシャーマン鬼が、朝一番に大声上げた。 「やっべえ、マジビビったー。この島滅ぶかも、みたいな? なんか島で犬、雉、猿が暴...

俳句だか川柳だかわからないけど十七文字の例のアレ

五月四日。つまりゴールデンウイークの三日目。私こと蓼(たで)丸(まる)多恵(たえ)は朝十一時だっていうのにベッドの上で惰眠を貪っていた。黄金の週間っていう甘美な響きに中てられて、午前三時までゲームをしていたせいだ。しかしどうだろう、世間では昨日から植田山ロープウェイの大事故...

クローズド・シャークル

九章 見えざる敵 目指す島が遠くに見えてきた。グレーンたちにとっては二度目となるその島への訪問は、しかし呑気で陽気だった半年前とはまるきり違って、ぴりぴりとした緊張感に満ちていた。 メグ島。アスィラム諸島の中央部に位置し、北はポロニア島、南はフィン島に挟まれた小さな島だ。農...

Comments


bottom of page