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南洋日本町の治外法権

 

戦国から江戸時代初頭、日本人が東南アジアに交易に出て、現地に日本町を建てた。そして、日本町は現地勢力から治外法権を得た、と説明されることがある。そうした記述は、岩生成一の『南洋日本町の研究』に基づく。岩生は幕府が現地法による日本人処罰を委任したとしつつも【岩生(一九六六)三三六】、日本人統領が選ばれ、彼らの支配下である程度現地法から外れた、一種の治外法権下で生活したと述べる【同三二六、三二七】。しかし、日本史料『通航一覧』から見ると、治外法権があったとは断定できない。今回は、史料からそれを確かめようと思う。間違いも多いはずだが、一応現代語訳した。




一、ベトナム


岩生は、ベトナムの日本人には治外法権があった、と言う。岩生の読んだ西洋語史料によれば、在住ポルトガル人に対しては統領・裁判官を選んでその二人に特権を与え、自国風に生活するのを許した【同四六】、またキリスト教禁教令に日本人が束縛されなかったという【同四五】。しかし、交趾の要請で幕府が船本に制札を与えた過程を、日本側の史料から見ると、治外法権付与とは言えない。


 まず、制札が付与される過程について。元和四年(一六一八)一二月一二日に届いた安南国(ベトナム)大都統からの手紙にはこうある。


史料㊀「(略)茲今貴國人民不同舊日、敝邦貿易放肆生端、商民被累、我欲法之、恐隔兩國情義、切思先年貴國嚴令札示、船本彌七郎顯定來邦、諸人無不遵守法度、令也小人無知、不依先令混擾、各商難以拘束、幸念舊恩、仍令七郎持札親來以副我望、使通兩國之好以便商民貿易(略)」【『通航一覧』(以下『一覧』と略)一七二巻(刊本、第四、四八九)】


「(略)今の日本の人民は昔と同じではありません、ベトナムの貿易で勝手気ままに争いの端緒を生じ、商人が迷惑しています。私はこれを法律で処分したいのですが、日本・ベトナム両国の情義を隔てないかと恐れます。切実に思いますに、先年日本が厳しい命令を制札(命令を書いた立札)で示して、船本彌(や)七郎顯定がベトナムに来たところ、諸人は法律を皆守りました。(しかし、今は)命令はありますが小人は知ることなく【令也小人無知を令あるや、小人‥・と読んだ。】、先の命令に依らずに混乱して乱れ、商人それぞれは拘束し難いです。どうか【幸をこいねがわくは~(どうか~してください)と読んだ。】昔の恩を思って、よって七郎に制札を持たせ、彼自ら来させて私の希望に沿ってください。日本・ベトナム両国のよしみを通ぜさせ、それでもって商人の貿易に便利にさせようと思います。(略)」


となる。すなわち、日本人商人の不法行為をやめさせるために、幕府から制札を下してほしい、とベトナム(ここでは安南国)が願ったのである。




 この願いに対し、同年十二月一二日に老中から船本彌七郎に下った制札「貞順賚安南國船中規約」の内容は、以下の通りである。


史料㊁「一凡回易之事者、通有無而以利人己也、非損人而益己矣、共利者雖小還大也、不共利者雖大還小也、(略)、


一異域之於我國、風俗言語雖異、其天賦之理、未嘗不同、忘其同怪其異、莫少欺慢罵、彼且雖不知之、我豈不知之哉、信及豚魚、機見海鷗、惟天不容偽、欽不可辱我國俗、若見他仁人君子、則如父師敬之、以問其國之禁諱、而從其國之風教、


一上堪下輿之間、民胞物與一視同仁、況同國人乎哉、況同舟人乎哉、有患難疾病凍餒、則同救焉、莫欲苟獨脱、


一狂瀾怒濤雖險也、還不若人欲之溺人、人欲雖多、不若酒色之尤溺人、到處同道者、相共匡正而誡之、古人云、(略)


一瑣砕之事、配於別錄、日夜置座右以鑑焉、」


(『一覧』一七四巻(刊本、四巻、五一〇))


 現代語訳するとこうだ。「一つ、すべて貿易の事は、あるものとないものを通じてそれでもって他人と自分に利益をもたらすのだ、他人に損させて自分が利益を得るのではない、(相手と自分が)ともに利を得るのは、(自分の利益が)小さいがかえって(全体的な利益が)大きいのだ、(相手と自分が)共に利益を得ないのは、(自分の利益が)大だがかえって(全体的な利益が)小さいのだ(略)、


一つ、外国は、日本にとっては、風俗言語が異なるけれども、その天賦の道理に、同じでないものはなかった。同じであることを忘れ違うことを不思議に思っても、少しも欺きあなどりののしるな。且(はた)外国人がこのことを知らず(日本人をからかった)としても、日本人はどうしてこれを知らずにおれよう。信頼は豚や魚にすら及び、機はカモメにすらあらわれる。これ天は偽りをお許しにならないのだ。つつしんで日本の国俗を辱めるな。もし外国の仁義ある人や君子を見たら、父や先生のように敬い、そして其の国のタブーを問い、その国の風教に従え。


一上堪下輿の間さえ、民や同胞は差別しない。(上堪下輿之間、民胞物與一視同仁の読みに迷う。)まして同国人はなおさら、まして同じ船に乗る人はなおさらだ。病気や飢え凍えることがあれば、一緒にこの人を救い、かりそめにも自分だけ脱しようとするな。


一つ、荒れ狂う海の波は険しいが、逆に欲望が人を溺れさせるのには及ばない。人欲は多いが、酒色がもっとも人を溺れさせるのに及ぶ欲はない。同じ(ベトナムへの)道に到りそこにいる者は、互いに正して戒めろ、古人も言うぞ、(略)


一つ、細かいことは、別紙に書いておく、日夜そばに置いて鑑とせよ、」


 内容は、一条で公正取引、二条で現地の風俗尊重、三条で現地日本人・同船者同士の相互扶助、四条で堕落生活への戒めである。制札自体は幕府の出したものだが、制札は健全な商取引・生活をせよと言うもので、日本法で生活できるように制札を与えたのではない。


 さらに、同日船本に与えた制令を見ると、このように言っている。


史料㊂「自日本到交趾國渡海之諸商人、可為船本彌七郎計付、於交趾非法之輩在之者、屋形次第可被成敗者也、右相背者於有之者、歸朝之刻、随言上、曲事可被仰付旨、執達如伴、(略)」(『一覧』一七四巻(刊本、四巻、五一一) 執達伴の伴は件で読んだ。)


 現代語訳するとこうだ。「日本からコーチシナに到る、海を渡る商人は、船本彌七郎の計付(不明)にせよ、コーチシナで法律違反を行うものがあれば、(その人は)屋形次第に(? コーチシナ当局のことカ)成敗すべき者だ。右のことに背く者があれば、日本に帰った時に、随(ただ)ちに(幕府に)申し上げ、処分を命令されねばならない。このように命令する、(略)」として、交趾の法を犯した場合の処罰を現地に任せ、帰国した場合は幕府から処罰を下すとしている。




以上の史料より、次のような流れで、幕府が制札を与えたとわかる。ベトナムが、日本から制札を下すよう頼んだ(史料➀)。日本は現地日本人のリーダーとなる海商の船本を通じて、現地法を遵守し健全な商業・生活をするよう命じる制札を出した(史料②)。また、現地でその制札に背けば、帰国後に罰することも規定された(史料③)。よって、制札を船本に与えたからと言って、日本人の治外法権をベトナムが認めたのではないとわかる。よって、日本側の史料だけでは、岩生のように「外人居留地に自治権と治外法権とを許し」(岩生(一九六六)四七)とは読めない。




二、カンボジア


西洋人の記述によれば日本人シャバンダールが置かれ、自国民居留地の裁判も行った(同一〇五~一〇七)。しかし、慶長一五(一六一〇)年に家康からカンボジア王にあてた手紙では、


史料㊃「(略)抑吾邦之商士、到貴域交趾占城處處、為梟雄害慘無寧日、是告報先年已依此示諭、残留吾邦黨類、悉以加誅戮、(略)」(『一覧』二六四巻(刊本、六巻、四八三))


現代語訳「(略)そもそも日本の商人や武士が、カンボジア・コーチシナ・チャンパ(今のベトナムの一部)などあちこちに至り、悪人となって、被害をもたらし虐げ、安全な日がない。ここで告げ知らせる(是告報先年を、是れ告報すらく、先年~と読んだ。)。先年すでにこの(カンボジアからの)告諭・告示に依拠し、(カンボジアに)残留するその一味は、すべて死刑にすべきだ、(略)」と述べている。つまり、現地で不法行為を行った日本人の処罰を、カンボジアに委託している。これは、治外法権ではない。




三、マニラ


岩生は、史料が少なく不明とことわりつつ、自国民の裁判官を持つマニラ在住中国人と同じ程度の自治かと推測するが【岩生(一九六六)二六五、二六六】、慶長六(一六〇一)年十月の徳川家康からフィリピン総督にあてた手紙では、


史料㊄「舊年於貴國之海邊、大明弊邦惡徒作賊之輩、可刑者刑之、明人者異域民也、不及刑之、(略)」【『一覧』一七九巻(刊本、四巻、五七〇】


現代語訳「昔、フィリピンの海辺において、明と日本の悪人で盗賊となる者たちは、処刑すべきものは処刑せよ、明人は外国人だから、処刑するに及ばない(略)」と、日本人海賊の処罰をマニラ側に任せている。このことから、日本法の適用を求めていない、治外法権ではない、とわかる。


課題 


以上のように、西洋語史料と日本史料は、治外法権的制度に関して食い違う。西洋語史料を批判的に検討するとともに、日本町を形成せず【岩生(一九八七)八〇】、現地法に従った【同三一四~三一五】バタヴィアの例などと比較して、岩生の記述を見直す必要がある。




参考文献 岩生成一(一九六六)『南洋日本町の研究』岩波書店

岩生成一(一九八七)『続南洋日本町の研究』岩波書店


『通航一覧』(一九一三)四、六巻 国書刊行会 




制作裏話 


近世史が好きで、イエズス会研究で有名な中砂先生の講義に出ていた。その講義のレポートで、『南洋日本町の研究』を読んでいた時に、気づいたことをまとめた。概説書などが治外法権を強調するのが気になったので、岩生の基づいた史料にさかのぼってみた。日本史には暗く、訳も間違いだらけであるが、お許しいただきたい。





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