アンセム・オブ・アーセナル
- meishomitei
- 4月15日
- 読了時間: 38分
更新日:5月6日
『アンセム・オブ・アーセナル』_日比谷 (2024 NF)
アンセム・オブ・アーセナル
日比谷
[Side: Ground –1]
「リクトより司令部に報告。第二十五番アンセム・アンカーの点検及び損傷部の交換が終了。再起動シークエンスを開始します」
『了解。あと少しだ、気を抜くなよ』
アーセナル346の外周地域にある、地面に打ち込まれた杭状の大型機械。森の中で異彩を放つこの人工物が、アンセム・アンカーと呼ばれる人類の英知の結晶だ。これが無ければ、現在の地球において人類の安全は確保できない。なぜなら、アンセム・アンカーによって防御された領域の外には「災隷」と呼ばれるバケモノが跋扈しているからだ。
「災隷」――三百年前に突如として現れた災厄の化身だ。科学文明の頂点に達して繁栄を謳歌し、地球の支配者も同然であった人類は奴らによって滅亡寸前にまで追い詰められた。あらゆる自然の猛威を象徴している災隷たちは、災害を具現化したような数々な超常現象を攻撃に用いる特性を持っていた。平地が傾くほどの地割れ、突然巻き起こる濁流、溶岩の奔流、氷点下の吹雪など、枚挙に暇がない。それだけではなく、実体を持っているようでありながら、通常の物理的手段では触れることすらできないのだ。当然、当時の兵器では全く太刀打ちできず、地球上に人類の逃げ場はなかった。生き残った人類は災隷の追ってこない宇宙に逃れるしかなかったという。
それでも地球は人類の故郷で、人々は地球への帰還を切望した。資源も生存圏も共に限られた宇宙空間から、何度も調査隊を派遣して地球奪還の糸口を探った。しかし少なくとも二百年間はまるで進展がなかったらしい。もはや地球の奪還は絶望視され始めた頃、未知の力が発見された。
それが今では「アンセム」と呼ばれる力だ。最新の研究によれば、アンセムとは理論的に制御可能になった願いの力の具現化だ。簡単に言えば、災隷が扱うような超常的な力を人類でも扱えるようになる力であり、適切に制御することで災隷を撃破することが可能だ。不思議なことに地球上でのみ扱える力であり、地球
や災隷と深いかかわりにあると推測されている曰く付きの力でもある――。だが何であれ、こうしてやっと災隷に太刀打ちできるようになったのが今から五十年前の話だ。
そうして開発された技術のひとつがアンセム・アンカーだ。アンセムの力を扱える人間が発する微弱な力場をキャッチして蓄積、増幅することで災隷の発生と侵入を阻害できる機械。これ
によって地上に安全圏を構築することが可能になった人類は、アンセムの使い手を育成してそのまま実戦に投入するための機関として「アーセナル」を開設した。アンカーによって作り出した狭い安全圏に学園を構築し、子供たちを集めてアンセムの適合手術を行い、兵器として育成する機関。僕らの暮らすアーセナル346もその一つだ。
こうした仕組みのおかげで順調に活動範囲を奪還していっているのが今の人類だ。だが、その快進撃の影には地味な努力も存在する――僕が今やっているアンカーの保守点検作業のように。これはアーセナルの生徒たちにとって馴染み深い面倒ごとでもある。だが、何事もなければ僕らは三日後には
「卒業」であり、この作業とももうおさらばというわけだ。こんな単純作業でミスを犯
すことなんて、いくら落ちこぼれの僕にだって経験がない。さっさと終わらせてしまおう――と思ったその時。ぞくぞくとした不快感と共に、妙な胸騒ぎが起こる。僕は知っている――これは、災隷の予感だ。
「痛っ……⁉」
次の瞬間、突然の衝撃に吹き飛ばされる。森の中、一旦木々の枝に受け止められた後、地面に落下して視界が揺れる。土埃が巻き上がり、僕を吹き飛ばしたそのナニかは鮮明には見えない――。
何
が起こったかの理解が、現実に追い付いてくれない。これだから僕は落ちこぼれなんだと、そんな思考が脳裏をよぎるが、今はそんなことを考えている暇はない。一体何が起こったのか?
『おいリクト⁉ お前なにをしている⁉ 状況を報告しろ!』
ノイズ交じりに通信が入る。聞きなれたドトウ先生の声だ。今回も叱られるだろう――もちろん、生きて帰れればの話だが。アーセナル346で一、二を争う落ちこぼれである僕は、いま間違いなく命の危機に直面している。
『再起動したアンセム・アンカーの出力が高すぎる! 初心者でもやらないミスだ。災隷どもに「ここにいます」と言ってるのと同じだぞ、自殺行為だ!』
僕はそんなに馬鹿馬鹿しいミスをしてしまったのか? 全くの手遅れではあるが、遠い昔の座学の記憶がよみがえる。すなわち、「アンセム・アンカーは定格出力では災隷を遠ざけるが、高出力ではかえって災隷を惹きつける」と。重要なことほど後になってから思い出すものだ。
「ぼ、僕は、今からどうすれば?」
『今すぐアンカーの出力を下げろ。それが出来ないのならさっさと撤退しろ。このままではお前の命すら保証できん!』
そうこうしているうちに土埃が晴れてくる。それと同時に、僕を吹き飛ばした災隷の姿も見えてきた。のっぺりとして透き通ったような、不思議な光沢のある四足歩行の牡鹿のような巨体。よく見る鹿型の中型災隷で間違いない。さっきの衝撃は、こいつが飛び降りてきたことによる衝撃波だったようだ。
そいつと僕とのちょうど中間地点にアンカーが鎮座している。地面に深く食い込むように設置されているからだろう、先ほどの衝撃を受けてもビクともしていないのは不幸中の幸いだろう。だが、その出力を下げるとなると、必然的に災隷のいる方に向かっていかなければならないことになる。さらに運の悪いことに、鹿型災隷はアンカーに狙いを定めて蹴りこみ攻撃を繰り返し始めた。
僕がいまやるべきことは、あの災隷を撃破して、そのあと落ち着いてアンカーを再調整することだ。覚悟を決めなければならない。
「何とかやってみます。自分の失敗の後始末ですから」
『……くれぐれも無理はするなよ』
幸いなことに鹿災隷はアンカーへの攻撃にご執心で、僕の方には興味が無いようだ。ならば背後から回り込んで、一撃
で撃破する。それくらいのことなら僕にもできるだろうし、実際にやったこともある。中型の災隷程度であれば、不意を突かれでもしない限りは僕のような落ちこぼれでも倒せる相手だ。
「『隠密』のアンセム……!」
僕は唯一の特技、「隠密」のアンセムを自らに施す。存在感を極度に薄めることができるアンセムであり、この技術に関しては僕の右に出る者はいないだろう。アンセムの力はこのように効果別に名前が与えられており、練習
を通じて習得すれば使用可能になる。だが生徒各人にはそれぞれ相性の良いアンセム
の力が存在していて、その効果を最大限に引き出すことが可能だ。僕の場合はそれが「隠密」という地味な力だったわけだが、モノは使い様。おかげさまであの鹿災隷は僕に気づけなくなった。
腹を括って、大きく回り込むようにして距離を詰める。目の前に巨体の災隷がいて、怒涛の攻撃を繰り出している。僕一人でこれを処理すると思うと、やはり緊張で体が固まりそうになる。でも、やるしかない。災隷の死角から隙をつく。
「『刺突』のアンセム‼」
携行装備の大型ナイフにアンセムの力を付与して高速で突き刺す。異変に気付いて大きく暴れる鹿災隷だったが、僕も必死でしがみつき、何度も攻撃を喰らわせる。僕のミスが原因なのだ、これくらいの意地は見せなければ。
遂に鹿災隷の動きは鈍り、地面に倒れて動かなくなった。もともと透き通っていたその体はだんだんとすりガラスのようにくすみ、最終的に塵になって崩れていった。僕の勝ちだ。僕自身の失敗の尻拭いとはいえ、ごくまれにしか味わえない単独撃破の喜びを噛みしめつつアンカーの再調整に向かった。
先生の指摘通り、僕はアンカーの出力を定格の十倍にしていたようだ。ゼロが一つ多いのだから、間抜けとしか言いようがない。すぐに調整を終わり、先生に報告する。
「アンカーの再調整、終わりました。帰還します!」
『ご苦労だった。依然として警戒を解かずに――』
その言葉を最後まで聞く前に、また妙な胸騒ぎを覚える。急いで振り返るが時すでに遅く、強い衝撃を体全体で受け止める。
「うぐっ……ぁ」
さっき吹っ飛ばされた時よりも数段強い衝撃。明らかに僕を狙い、僕を殺すための攻撃だ。宙を舞いながら、僕の不意を突いた災隷を視界の端に捉える。
「このっ……イノシシ野郎……!」
猪型の中型災隷による突進攻撃。突進攻撃と言うと他愛もなく感じるが、猪型の全力の突進攻撃であれば、身体強化のアンセムを常時付与している僕らであっても、直撃を受ければ即死することだってある。
痛みよりも先に悔しさがこみ上げる。明らかに慢心があった。警戒が緩んだその瞬間に、アンカーに引き寄せられて近くまで来ていた猪型に攻撃を受けたのだろう。それに、いつもの胸騒ぎを感じていたにも関わらずだ。僕は災隷が近くにいるときには決まって危険の予兆のようなものを感じる。災隷特有の異質な力の流れに対して、本能的に違和を感じ取れるようだ。そんなアンセムは聞いたこともないし、他の誰も知らないと言う。僕だけの特技のようだが、宝の持ち腐れとしか言いようがない。
数百メートル吹き飛ばされて、やっと地面に打ち付けられる。だが、例の猪型災隷はもう一度僕の方に突進してくる構えだ。逃げようとするが、あまりの衝撃で体が言うことを聞かない。……まさか、これで「終わり」なのだろうか? それだけは嫌だ、まだ何かできるはずだ。落ち着け、落ち着いて考えろ。こんな時、彼女、、ならどうするか――
「はあぁぁぁ!」
二度目の突進攻撃が僕に直撃する寸前、聞き慣れた少女の声が響き渡る。上空から急降下しての的確な一撃、猪型災隷は彼女のかかと落としによってあえ
なく撃沈する。災隷が消滅し、彼女は着地して立ち上がる。間違いなく、先ほど僕が思い浮かべていた憧れの少女だった。
「あ、アマネ……?」
「あんたねぇ……もう、とにかく帰還するよ!」
『迅速な対応、見事だアマネ。救援に感謝する』
僕を助けてくれた幼馴染の少女、アマネは、強引に僕の手を引くと地面を強く蹴り上げ、空を駆ける。彼女が適性をもつ『飛翔』のアンセムの力だ。相当な技術と空間認識能力を必要とするため、有効活用できる人物は少ない。
散々恥を晒して、それでも僕は生きて帰ることになった。僕はなんて無能なんだろうか。アマネには感謝してもしきれないが、それと同時に強い劣等感も覚える。幼いころから彼女は優秀だったが、成長するにつれてその差は絶望的なまでに広がっていった。いまや彼女は学園の主席、天才とあがめられる存在だ。憧れと妬みに板挟みにされ、煩悶としながら僕はアーセナルの校舎まで帰還した。
[Side: Sky –
1
]
今日の授業は全て終わった。陽は既に傾き、西の空を焦がしている。
あたしはお気に入りの場所、学園裏の庭園で一人夕日を眺めていた。小高い丘の上の校舎、その西にある庭園は、橙色の陽光に照らされている。あたしはこの場所が好きだ。生まれ故郷の宇宙には夕焼けも、豊かな自然もないからだ。それはもっと押し広げて言えば、地球という星が好きだということになるのかもしれない。一人静かな時間を堪能していると、後ろから邪魔が入る。
「アマネぇ、今日もやってくれたなぁ……?」
「ずいぶんと調子がよかったねぇ」
「フウ、リン。もう帰ってたんだ」
後ろに立っていたのはクラスメイトのフウとリンだ。二人は双子の姉妹で、身長も体格もほとんど同じだが、喋り方にいちいち棘があるのがフウで、嫌味で皮肉っぽいのがリンだ。アンセムの扱いに関しては相当手練れで、今日もコンビで任務に当たり相当な好成績を収めていた。
「誰かさんのおかげで割り当ての仕事が少なくなったからぁ、おかげで早く帰ってこれたの。ありがたいねぇ」
「ふーん、よかったじゃん」
「……あんたねぇ、平気な顔して他の人に割り当てられたノルマを奪うなって言ってんの! 一人で何でもできると思ったら大間違いだからね⁉」
「そんなこと言っても、あたしにはそれだけ余裕があったわけだし。皆の進捗が芳しくないっぽいからいろんなところでお手伝いしてただけだっての」
「そ、れ、が! おせっかいだってんだよ!」
「アマネちゃんはいっつも優しいねぇ~」
あたしは別に、全く悪いことをしたとは思っていない。今は事実を述べたまでだ。「自分の仕事が終わってから、進捗の悪いタスクを手伝って周った」だけ。それの何が悪いのか理解に苦しむ。
「アンタねぇ、他人の活躍を奪いすぎなんだよ! 手伝いって言いながら、ほとんどの仕事を自分でやって……こんなんじゃみんな、面目丸つぶれだよ」
「アマネちゃんはほんっとに優秀だねぇ」
「そんなの、あたしに言われても……! あたしだってそんなつもりでやったんじゃないし! 大体、今更こんな初歩的な実践演習でいちいち時間かけてるのなんてバカバカしいでしょ? 早く終わらせるに越したことないって」
「ふーん、あんたの幼馴染クンはそうでもないっぽいけどね」
「こらぁ、フウちゃん。リクトくんだって『いつも通り』やっただけだって。あんまり責めちゃダメでしょう?」
「こんのっ……リクトは関係ないでしょうが!」
「『こんな初歩的な』ねぇ。そりゃあそうだよな、今更こんなタスクで失敗するやつなんていないよね?」
「やめたげなよ、フウちゃん。リクトくんもアマネちゃんも傷ついちゃうよぉ」
「アンタら……あいつをダシにしてまであたしを不機嫌にさせたいわけ⁉」
あと少しで手が出そうだったが、そんな一触即発の状況に待ったがかかる。
「アマネ……もう止めてくれ」
「お、噂をすれば。先生にこってり絞られたみたいだな、リクト!」
「気にしすぎちゃだめだよぉ、毎回落ち込んでたらキリがないしぃ」
全方面に対して苛立たしい奴らだ。今すぐにでもぶん殴ってやりたいが、その手はリクトに制されている。リクトは冷静だった。
「……バカバカしいくらい初歩的なミスで周りを巻き込んだのは事実だよ。アマネが怒る事じゃない。むしろ、迷惑をかけてごめん。アマネのおかげで命拾いしたよ」
「……あんたは、こんだけ言いたい放題されても気にならないわけ?」
「それは、全部事実だから。でもそれと同じで、アマネのおせっかいで助かった奴がここに...いるのも事実だ。だから、それでとやかく言うのもやめて欲しい」
リクトはフウとリンに向かってそう告げる。アンセムの才能においては落ちこぼれかもしれないが、こういう喧嘩の仲裁はリクトの得意分野だ。
「……はぁ~、しょうもな。観てらんないわ。少なくともウチらは迷惑千万だってことだけは覚えといてよね、アマネ!」
「リクト君も、明日の作戦でコロッと死んじゃわないように気を付けてねぇ?」
十分に溜飲が下がったのか、そう言い残すと二人は去っていく。リクトは大きくため息をつき、落ち込んだ様子で口を開く。
「はぁ……、とんでもない失態だよ。あいつらの言うとおりだ」
「それは、流石にあたしも否定できない。大事なのは反省をどう生かすか、それしかないよ」
「相変わらず、前向きだよね……。それがアマネの強さの秘訣?」
あたしには、これしか励まし方が分からなかった。あたしは昔から向上心が強いのか、負けっぱなしは絶対に許容できないタチだった。心の声は決まってこう言う――「失敗は次勝つための糧にしろ」と。言われてみれば強さの一因であるのは間違いないが、むしろこれは常識だろう。
「あたしは――最強なんだから。なんだって自分でやって見せるし、そのために反省と努力は欠かせないの!」
「はぁ……、そんな台詞、一回でいいから言ってみたいよ」
自分で言うのもなんだが、他人にはできないことがあたしにはできる。フウもリンもあたしたちの同期の中ではトップクラスに実力のある生徒だが、それ
でもあたしとは圧倒的な実力差があると自負している。唯一無二、それは間違いなく自分の強みだし、心の赴くままに、それをもっと積極的に活かしていくべきだというのがあたしの考えだ。
だがそれで、不和が生じることもある。フウとリンが突っかかってくるのも日常茶飯事だ。
「でも、今日も喧嘩を止めて貰っちゃった。あんたも、そろそろほっといてくれたっていいのに」
「流石のアマネでも協調は大事、だから喧嘩なんてしている場合じゃないよ」
「そうなのかなぁ。一発ぶん殴ってやった方が静かになりそうなもんだけど」
「はぁ、君ってやつは……。もっと、周りの人を大切に扱ってくれよ」
あたしはしょっちゅう周りの生徒と口論や喧嘩になる。だけど、その度にリクトは間に入って仲裁してくれる。厄介ごとの大半はあたしのせいで起こっているようなものだけど、それでも毎度毎度間に入ってくれるリクトには感謝している。
だけど、そんな日常ももうすぐ終わる。明日の大規模作戦が終われば、あたしたちはこのアーセナルを「卒業」して、本格的に戦闘任務に投入される。訓練期間は終わりということだ。その意味で、明日の作戦は卒業試験だと言える。
だが、リクトが果たして兵器としてどれだけ戦っていけるのかには不安しかない。彼にはもっとその性格と才能を活かせる場所があるはずだと、あたしは思う。あたしは戦うことで生きていくし、生き抜く自信がある。でも、リクトにはそうでない生き方をしていて欲しい。なんて、幼馴染だからと言って少し甘すぎるだろうか。
「明日も頑張ろうね、リクト」
「……うん、少なくとも今日みたいに足は引っ張らないように気を付けるよ。前向きにいかないとね」
明日の作戦は、アンカーの交換のような小規模なものではない。アーセナル346の総力を挙げて、人類の領土を拡張するための作戦。これでこそ、卒業試験に相応しい規模だと言える。
明日に備えて、今日はもう寮に帰るのがいいだろう。しっかりと休息をとり、全力で臨む。そうして、あたしの力を全員に知らしめてやるのだ。嫌味など言う気も失せるほど、徹底的にだ。
「じゃあ、また明日ね」
だが、リクトの様子が少しおかしい。
「……あ、アマネ!」
「ん?」
「……いや、覚えてるかな。昔の、宇宙にいた頃の話」
[Side: Ground –
2
]
陽が暮れていく。東から、だんだんと空が闇に包まれていく。このあいまいな時間が僕は好きだ。自然が生み出す曖昧さ、微妙な美しさ。僕の曖昧でどっちつかずな想いを象徴しているような、そんな景色。
「覚えてるかな、地球についての図鑑を一緒に読んだ時のこと」
「改まってどうしたの? ……忘れるわけないでしょーが」
「そうか、良かった。いつか一緒に地球に行って、ここに書いてあることを確かめるんだって約束したよね」
僕らは二人とも宇宙で生まれた。アーセナルの養護施設にいた頃からの付き合いだ。無邪気に交わした約束は、「いつか地球を全部見て周る」こと。
「懐かしいね。あたしはそのために戦うんだって、いつも思ってるよ。まだ災隷から取り返せてない場所も、全部あたしが取り返してやるって。見たことない場所、全部見に行くにはそうでもしないとね」
「君はそうだろうね。ずっと尊敬してる」
でも、と僕は続ける。僕は違うんだ、僕にはアマネほどのセンスは無かった。憧れはあっても、それに見合うだけの力がない。それがどれだけ苦しいか。
「僕もアマネと一緒に、この星を取り戻す力になりたいんだ。自分の欲しいものは自分で手に入れたい――。でも、それは現実的じゃない」
アマネはずっと憧れの人だった。アマネを目標にして僕だって精いっぱいの努力をしたつもりだ。人一倍どころじゃないレベルの努力だ。でも、天才は努力を凌駕するから天才なんだって、十歳くらいの頃には思い知った。
「だからね、アマネ。僕は君が妬ましいんだ。いつからか、憧れと同じくらい嫉妬しちゃってるんだ。だからこそ、フウ達が怒る気持ちもよくわかる」
アマネは全ての努力する人をあざ笑っているように見えるんだ、とは言わなかった。でも、普段から仲の良い僕がここまで言ったのは初めてだからか、アマネは茫然としている。絞り出すように彼女は切り返した。
「……何が言いたいのか、よくわかんない」
今日が最後のチャンスだという焦りが、僕をこんな行動に駆り立ててしまったのだろう。僕が明日生きて帰ってこれるかについてはほとんど絶望的だ。だから、溜まりに溜まった想いの丈が堰を切ったかのように流れ出て来る。
「僕にとって、アマネは最大の憧れで、それと同時に一番恨めしい相手だってこと。でも、それだけじゃない……それだけじゃないんだ」
「な、何よ?」
もう、止まれない。最後のチャンスだろう。勇気を出せ、僕。
「僕はアマネのことが、ずっと好きだった」
「へ⁉」
震える声で、勢いに任せて言いきる。恰好が付いたかどうかはわからないけど、言わずに死ぬくらいなら強引にでも伝えた方がマシだ。
宇宙からアーセナルに送り込まれてからというもの、僕は嫌と言うほど現実を突きつけられた。アンセムの力の扱いにおいて、アマネはぐんぐんと力量を伸ばして天才と呼ばれるに至った。反面、僕はどれだけ頑張っても伸び悩んだ。絶望的な才能の差を前にして、アマネへの憧れと好意には羨望と劣等感とが混ざりこみ、アマネは自分にとって何なのかを見失った。
僕なんかじゃアマネには絶対に釣り合わないと分かっている。毎日がアマネの影との戦いだった。アーセナルでの生活が長くなるにつれて、僕は理想像としてのアマネにとらわれていった。理想と現実とのギャップを感じる度に、アマネがちらつく。今日だってそうだった。
「……それでも、僕はアマネのことが好きなんだ。どれだけ負い目を感じてても、どれだけ釣り合わないと思ってても、この気持ちがなくなったことは無いんだ。この想いは僕にとって一番大事なもので、どうしても伝えたかった」
あぁ、思わずまくし立ててしまった。アマネはと言うと、突然の感情の爆発に面食らったようで、押し黙ってしまった。
「……ごめん。今日するべき話じゃなかったかもしれない」
「……急にそんなこと言われても。あたし、何て言えばいいわけ⁉」
アマネは困惑を隠しきれず、赤面してわなわなと震えながらそう言い放った。だが、結局答えは見つからなかったようだ。しばらく何か言いづらそうにしていたが、結局は僕に背中を向けて駆けだして行ってしまった。
裏庭に一人残された僕。陽はとっくに沈んでいた。
[Side: Sky –
2
]
あのバカは、どうやらあたしの心をかき乱すだけかき乱してその責任は取らないつもりらしい。翌朝になっても、あたしの胸にはモヤモヤが残り続けた。おかげさまで睡眠不足だが、それよりもむしろ、あたしは心の靄が晴れていないことに驚きを隠せなかった。
今まで、どんな悩みだって寝れば忘れてきたタイプだ。リクトとの付き合いだっていくら長いとは言え、要するに「好きだけど嫌いだ」と言われたような程度でここまでショックを受けるものだろうか――このあたしが?
「リクト……」
認めたくはないが、あたしも少しセンチメンタルな気分にさせられてしまったようだ。あたしにとってリクトは、単に幼馴染で、気さくに話せる程度の仲で、いつも厄介ごとを解決してくれる友達だ。そう、そのはずだ。
確かに単なる友達以上の関係性ではあるかもしれないが、それでも――好き? そんなことがあるのだろうか。そもそも、あたしには単なる友達という関係の人間が居ないことに気づく。昨晩のリクトの言う通り、あたしの才能は普通の人付き合いをする上では大きな障害になっていたのだろうか。
「……って、そんな場合じゃない!」
こんなことを考えている暇はないはずだ。今日は卒業試験、大規模反攻作戦の決行日だ。今まで踏み込んだことのない領域に踏み込むということは、敵は未知の災隷たち。一瞬たりとも気は抜けない。当然、あたしには自信がある。だが、リクトはそうとも限らないだろう。
「リクト……とりあえず、生きて帰ってきなさいよ」
煩悶とするあたしをよそに、戦闘準備が着々と進んでいく。戦闘要員の生徒たちは装備を身に着け、技術部の生徒がそれを点検している。あたしはもう準備万端だった。「飛翔」という特殊なアンセムに応じた特別装備は、前々から入念に整備されていたようだ。肩慣らしの準備運動で雑念を払おうとしていたら、別の方向から邪魔が入る。
それは、戦意高揚のための学長の演説だった。個人的な話をすれば、御託にまみれた演説は好きではない。一応お偉いさんだからということで聴いているようなポーズをとることにしているが、あたしにとっては邪魔でしかない。重々しく演説が始まる。
「諸君、ごきげんよう……」
やれ今日は勝利の日だとか、やれ諸君らの奮闘を期待するだとか、月並みなセリフが並ぶ。新鮮な話など一言も聞こえてこない。そして最後、学長は決
ま
って同じセリフで演説を締めくくる。
「……君たちが、地球奪還のカギなのだ。健闘を祈る」
生徒たちがいたるところで雄叫びをあげる。高まる周囲のテンションとは逆行して、あたしは鍵、という言葉にいつも引っかかる。あたしたちは物なのだろうか? あたしたちは武器庫アーセナルいっぱいに詰まった武器か何かだと、お偉いさんの目には映っているのかもしれない。でも、あたしはそんな扱いには納得できない。あたしにはあたしの人生があって、望むものは全部自分の力で掴み取ってやる。昨日リクトと話した通り、いまアーセナルで地球奪還のお手伝いをしてあげているのは、あたしも地球を取り戻したいから。いつか地球を自由に旅してみるのが夢だから。――そのために、あたしは力を身に着けた。この力で必ず地球を奪還する。それで、リクトとの約束を果たすんだ。
『各戦闘員に告ぐ。今後はこちらの指示に従うように』
本部からの通信だ。今回も指揮官はドトウ先生か。いつも通りで安心感がある。
『全部隊の戦闘準備完了を確認した。よって、本作戦について再度説明する。目標は、本アーセナル東方の山岳地帯の掌握。当該地域に密集する災隷を祓い、大型のアンセム・アンカーが安定稼働するまで防衛戦を完遂する、以上が作戦の内容だ。激戦が予想されるが、各自全霊を尽くせ』
全生徒に、死地に赴くという緊張感が走る。尤も、あたしには死ぬビジョンなどないが。
『――それでは、全部隊に出撃を命ずる!』
「飛翔」のアンセムに力を迸らせる。今回は全身全霊、出し惜しみもナシだ。地面を深く蹴り込み、早朝の澄んだ空に駆け出す――。
「『風刃』のアンセム!」
炎を纏った巨大な猛禽類型災隷に向かい、手刀を振り下ろす。アンセムの力によって生み出された真空の刃が放たれ、災隷を一刀両断する。上空で真っ二つになった災隷は次第に燃え尽き、塵となって消えていった。
「あたしの手にかかれば、こんなもんね!」
大型の災隷であろうと、あたしの敵ではない。火災の力を宿しているなら、水を使えばよい。水害の力なら土だ。あらゆる種類のアンセムを身に着けたあたしに隙はない。
だが、あたしの活躍を語るまでもなく、戦況は常にあたしたちの優勢で推移していた。このアーセナルには成績が優秀な生徒が集められていたと聞くが、それを実際に目の当たりにした感じだ。どこを見てもあたしたちが圧している。そんな折、指令が下る。
『アマネ、大型アンカーの設置予定地点の掃除が済んだ。こちらから射出するので、受領して設置せよ』
「ついに……! 了解です‼」
勝敗を決する大仕事だ。大型のアンカーが安定稼働すれば、その地域は人類にとって安全圏となる。この仕事が今回の山場だと言って良い。
「お、来たね……!」
大型のアンカーが本部から射出され、こちらに向かってくる。鈍重な見た目で、これをコントロールして安全に地上におろすには一苦労しそうだ。だが、
あたしは並みの「飛翔」使いではない。だからこそあたしに任されたとみて良いだろう。
「『掌握』のアンセム!」
身の丈の十倍はあろうかというアンカーをキャッチする。「掌握」のアンセムの力でしっかりとホールドし、何とか制動して照準を地面に定め、渾身の力をこめてアンカーを打ち込む
「いっ……けぇっ…!」
だが、そこに無数の中型災隷が割って入った。
「な……⁉ どこから⁉」
よく見てみると、非常に素早い鼠型災隷の群れだ。アンカーを打ち込む予定の地面に折り重なって塔を作り、あたしが投げたアンカーを押し返そうと必死になっている。
「そんなこと……無駄! 大人しく消えて‼」
ダメ押しが必要だ。上空から急降下してアンカーを蹴り込み、もう一度押し込む。その余波で鼠型災隷たちも潰していく。
轟音と共に土煙が立ち上り、視界が晴れるとアンカーは目標地点に深々と刺さっている。あたしの任務は果たされたということだ。後は、安定して起動してくれればよいのだが……。
「なんか、おかしいな……」
なにやら危険な雰囲気だ。アンカーには誰も触れていはずなのに出力が異常に高まり、アンセムの力が集約されて行っているのが分かる。
「このままじゃ不味い! 何でかはわからないけど止めないと……!」
アンカーに向かおうとしたが、一足遅かった。
地の底から響くような低く不気味な轟音と共に、アンカーを打ち込んだ地点から地割れが発生。アンセムの力の奔流と同時に、見たこともない巨体が姿を現す。巨大な岩石が無数に集まって人の上半身のような形を成した無骨な存在。例えるならば古い物語に登場するゴーレム、だろうか。圧倒的な威圧感は、あたしの身体すら竦ませた。
「何だ、あいつ……⁉」
歴戦の勘が、奴も災隷の一種だと告げている。だが、あたしはこんな災隷を見たことも、教わったこともない。
天を揺らすような咆哮と共に、奴は徐にその剛腕を振り上げる。
「なんだかわからないけどマズイ!」
剛腕を振り下ろすとともに、虚空から無数の岩石弾が降り注ぐ。
流石のあたしも、周りに気を配る余裕は無く――次にあたしの目に映ったのは、絶望だった。あたしは回避に全力を費やして軽い被弾で済んだものの、地上はクレーターだらけでそこら中に重傷を負った生徒たちが横たわっている。まさか、たった一体の災隷が戦況をひっくり返したのか?
『……状況が……分からん! 誰か応答しろ!』
「わ、わかりません! 大型の未確認災隷が一体! 攻撃で地上部隊がほぼ壊滅した模様……!」
途切れ途切れの無線連絡に、あたしが上空から掴んだ最大限の情報を伝える。そして、自分で発した「地上部隊が壊滅」という言葉にハッとする。
「リクト……!」
確かリクトは支援小隊だ。前線と後方を行き来して物資補給をしたり、時には戦闘補助も行ったりという役割だ。前線にいなかったのなら難は逃れているだろうが、心配は尽きない。本当なら今すぐ安否を確認しに行きたいところだが……。
「こいつ、野放しにしてはおけないよね……!」
例の災隷は、自分の攻撃で穴だらけにした周囲を睥睨しているようだった。災隷らしく、何を考えているのかわからないのが気味の悪いところだ。それに、さっき見た通りの圧倒的な制圧力。あれを何度も打ちこまれるとなると、被害はこの戦場だけでは済まないだろう。私たちの家であり拠点であるアーセナル自体に被害が及ぶのも時間の問題だ。ここで食い止めるしかない。……果たして、あたし一人でそんなことができるだろうか? いや、そんな迷いはあたしらしくない。あたしはこのアーセナルのトップで、何だって成し遂げてきた。やれるに決まっている――そんな覚悟を決めたとき、再び本部からの連絡が入る。
『現在戦闘継続が可能な全てのものに告ぐ! 先ほど出現した災隷は、全世界で見ても数例しか発見報告のない超大型の災隷だと判明した』
世界的に数例? 地上に三百以上あるアーセナルが五十年以上蓄積してきた災隷の情報網をもってしてもそんなことがあるのだろうか。それに、よりによってこんな日に現れるなんて、タイミングが悪すぎる。
『攻撃方法に関しても未知数だが……類似する災隷の情報と初撃から推測するに、地震など地殻変動級の災害を象徴しているようだ。したがってこれ以降、当該災隷を「崩壊の災隷」と呼称する。なおこれ以降、既存の作戦はすべて破棄し、総力を挙げて崩壊の災隷を撃破する方針に切り替える』
本部からの情報を少しはアテにしていたが、決まったのは名前だけ。具体的な動きは指示されなかった、いや、指示などできない状態なのだろう。やはりここは、自分で考えて最適な行動をとるほかない。
震える手を握りしめ、「崩壊の災隷」とやらを見据える。どんな敵にだって弱点があるはずだ。それに、さっきの不意打ちだって避けられたのだから、回避に無理はない。とすれば、挑発と回避を繰り返して弱点を炙り出す。それしかない。
「やってやろうじゃん……! あたしは、負けないよ」
[Side: Ground –
3
]
隠密のアンセムくらいしか取り柄の無い僕は、後方と前線を行き来して物資を絶たないようにするくらいの役割が関の山だし、それでも手一杯なところがある。いくら気配を悟られないとは言っても十分な危険が伴うし、既に十回は命の危険を感じた。だが、仕事は仕事だ。支援
小隊の連絡員としてアーセナルまで戻り、仲間から支援物資を受けとり、出発しようとしたときのことだった。
僕の身体に悪寒が走る。前線に明らかに異常な災隷の気配を感じたと思えば、無数の岩石弾が降り注ぎ、アーセナルの周囲をクレーターだらけの荒れ地にしてしまった。幸いなことに、アーセナルは上空までアンカーによる防壁システムで守られており、岩石弾の貫通を受けることは無かった。だが、それ
に伴う激しい振動は常識外れの威力を物語っていた。
「崩壊の災隷」――これまでにほとんど発見報告の無い超大型災隷? なぜそれがこんな時に。作戦は順調に進んでいたはずだ。アマネが、作戦の要である大型のアンセム・アンカーを打ち込むのは僕も遠巻きに確認していた。というか、あまりにも派手なので確認するまでもなかっただろう。あれで作戦はほぼ完了だったはずなのだが。
「待てよ、アンカー……?」
余りにも規格外な災隷だからか、さっきから僕の胸騒ぎは反応しっぱなしだ。常に心が落ち着かない感じ――だが、その元を辿って前線を見てみると、崩壊の災隷本体と言うよりはむしろ、先ほど打ち込んだアンカーに大きな違和感があった。しかも、昨日の失態が記憶に新しいが、アンカーに異常があれば災隷を呼び寄せる。このサイズのアンカーに異常があれば、このサイズの災隷を呼び寄せることもあるのだろうか? なんにせよ、この災隷の出現に関して怪しいのはあのアンカーだ。ダメ元だが、本部に意見してみる価値はある。
「先生、ドトウ先生! 聞こえますか?」
『……なんだ。今こちらは状況の確認で忙しい! 危急の連絡があるなら手短に頼む!』
「アンカーです! 打ち込んだ大型アンカーに何かしらの異常があるのではないでしょうか?」
『アンカーだと? 昨日の晩遅くまで技術班が念入りに点検していたんだぞ? お前が設置したんじゃあるまいし、それに異常が出たというのか?』
僕が感じた違和感のことを説明しても理解を得られることは無いだろう。だが、ここで折れるわけにはいかない。役に立ったことは無いが、少なくとも僕の胸騒ぎは的確に災隷の存在を告げてくれる。それに、前に話したとき、半信半疑と言った形ではあったがアマネはこのことを否定しなかった。先生に取り合ってもらえないとしても、直接伝えに行けば、あるいは――。
だ
から、いま引き下がるわけにはいかない。
「……‼」
『おい⁉ リクト、何をしようと――』
無線を切断する。前線では残存戦力による激しい抵抗が行われている。空中を駆けまわっているアマネは遠巻きでもよくわかる。だが、心配だ。いくら天才のアマネだって、いつまでもつかわからない。それに、もしかしたら初めてアマネの役に立てるかもしれないという眩い期待に目がくらむ。
作戦の指令に無い行動だが、そんなことを気にしていられる状況ではない。僕は全速力で駆けだした。
「僕だって君の力になってみせる、アマネ……!」
[Side: Sky –
3
]
戦況は悪くなる一方だった。これがジリ貧という奴だろうか? そんな状況に陥ったことが無いからわからないが、多分そうだろう。
崩壊の災隷は、初撃にも勝る威力の攻撃を連続で繰り出す化け物だった。岩石弾を雨あられのように降らせたかと思えば、数百メートルの深さの地割れを自在に開閉する。土が急にせりあがって槍のように生徒たちを突き上げ、本体も鈍重な見た目からは想像がつかないほど俊敏に殴り掛かってくる。防御面も
堅く、遠距離攻撃は岩石弾で相殺され、近距離に潜り込んで攻撃を加えれば厚い岩石の盾を形成して防がれる。あたしが挑発しては回避を繰り返すことで、せいぜい他への攻撃を抑えることくらいは出来ている。そうして難を逃れた生存者が加勢に来てくれることもあったが、流れ弾や衝撃波に巻き込まれて死体が増えるだけだった。極めつけに、アーセナルの防壁システムも甚大な被害を受けているようだ。防壁が突破されれば、もちろんあたしたちの敗北である―
―が
。
「まだ、やれる……はず……!」
諦めない。諦めたくない。あたしはやれる、はずなんだ。
「あたしの全てをぶつけてあげる……‼」
思ったより素早いとは言ったが、流石にあたしの空中高速機動を追いきれてはいないようだ。それに、懐に潜り込んで最大火力の攻撃を加えれば盾を貫通して本体にダメージを入れられるはずだ。しかも、あらゆる攻撃手段の中で、こいつには比較的水が良く効くことも分かった。だから、やることは明確だ。
「こっちだよ、ウスノロ!」
飛翔のアンセムで岩石弾の対空迎撃を避けながら本体に接近する。あたしの身体ギリギリのところを、石礫が高速で掠めていく。だが、それももう慣れっこだ。
「『泥流』のアンセムっ……!」
災隷が災害の力を使うなら、あたしだって同じ土俵に立つしかない。攻撃を搔い潜り、崩壊の災隷と対峙する。アンセムの力をあたしの掌に集約する。放つ水圧と岩石の打撃力を一点集中させて、盾を貫通させる!
「耐えれるもんなら、耐えてみなさいよ……‼」
あたしが出せる最大火力の攻撃が放たれる。案の定盾を作って耐えようとする崩壊の災隷だが、岩石の寄せ集めに過ぎない盾は容易に貫通できた。それどころか、本体すら一瞬で貫く。胴体に風穴を開けられた崩壊の災隷は、地響きとも咆哮ともつかぬ声を上げた後、一瞬動きを止めた。
「……これなら……流石に……!」
だが、希望はすぐに打ち砕かれる。崩壊の災隷はより一層大きい雄叫びを上げ、周囲
の岩石を集めて即座に穴を塞いだだけではない。さっきまでよりも一回り大きい体躯になって復活した。
「……ッ⁉ そんな……!」
すぐに次の攻撃があたしを襲う。即座に身を翻して距離をとるが、どうやらこいつは本格的にあたしを始末しにかかったようだ。今まで大型の岩石を低密度で打ち出していたのが、今度は小さい岩石を高密度であたしに向かって集中砲火してきた。回避は絶望的、そう思った時だった。
「は、『破砕』のアンセム‼」
あたしの面前で小規模な爆発が発生し、岩石
弾に隙間が生じた。その隙間に身をくぐらせて何とか弾幕から脱出する。
「リクト‼」
「一旦こっちに‼」
なぜリクトがいるのか、その疑問はいったん棚に上げるしかない。今は緊急事態だ。確実に祓ったはずの災隷がより強くなって復活したという、前代未聞の状況。いかなる救援も、それが学園一の落ちこぼれだとしてもありがたい。
リクトと合流し、彼の手をとる。彼の「隠密」とあたしの「飛翔」を併せて、気配を消した状態で二人して空を飛ぶ。これによって崩壊の災隷は一時的にあたしを見失ったが、その分見境ない弾幕攻撃であぶり出しを図っているようだ。回避を継続しながら、リクトを問いただす。
「あんた、なんでここに⁉」
「アマネ、聴いてくれ! アンカーだ、アンカーを破壊するんだよ‼」
「はぁ? あんた、頭おかしくなったの⁉」
「違うんだ! 僕が災隷に対して勘が働くって話は前にしただろ? それが今回はあのアンカーに反応してるんだよ!」
「だとしても!」
「それに見てみろ! あいつ、見境なく攻撃してるように見えて絶対にアンカーの周りは狙わないんだ! 何か意図がある、絶対にだ!」
それは確かにその通りだった。これは明らかに異常だ。通常災隷にとっての天敵であるアンカーなど、真っ先に破壊しそうなものだが。
「それに、この状況を続けても何もいいことなんてない。僕の言うことを信じてくれ……!」
説得力はある。そして、時間はない。やるしか、無いようだ。
「……リクト、責任取ってよね⁉」
高度を高め、超上空からアンカーに向けてドロップキックを喰らわせる。これで、いかに大型アンカーと言えど一撃、のはずだった。
「……ッ⁉ 堅い‼」
常軌を逸した堅さだった。明らかにおかしい、やはり災隷と関係が――そう思った時、震える声でリクトが叫ぶ。
「まずいアマネ、今ので位置がバレた‼」
「ぐっ……! うわぁぁ‼」
気が付いたときには、目の前に災隷の掌が迫っていた。咄嗟にリクトを突き放し、「防護」のアンセムに全力を注ぐ――。全身に響き渡る鈍く重い衝撃。為すすべなく、あたしは地面に激突する。
「うっ……ぐ」
意識が朦朧とする。視界も霞む。身体が動かない。まさか、これが……敗北? あたしは、「死ぬ」?
崩壊の災隷は一段と力強くなったその剛腕を振り上げる。これが振り下ろされれば、あたしは防護など関係なくすり潰されてしまうだろう。死体も残らず、きれいさっぱりこの世から消えてしまうのだろう。
「リク……ト」
人生最初で最後の敗北なんてただでさえ頭に来るのに、最期に思い浮かぶのがあいつだなんてサイアクだ。どれもこれも昨日、あんな話をされたからだ。あいつからあんな話を聞かなければ、もっと調子が良かったかもしれないのに。最期に、気づくこともなかったのに。
「そっか。あたしも……好きだったんだ」
腕が振り下ろされる。視界も、聴覚も、すべてが真っ暗になる――はずだった。
「アマネえぇぇぇぇ‼」
あたしが潰される寸前のところで、リクトが割って入った。
「……ぇ?」
あたしは突き飛ばされ、あたしが元いたところに災隷の平手打ちが炸裂する。衝撃破が発生し、あたしはさらに吹き飛ばされた。
「リクト‼」
土煙がだんだん薄まり、リクトの様子が明らかになってくる。彼はあたしの代わりに災隷の掌の直撃を受けていた。下半身が完全に潰され、力なくこちらを見据えている。
「よかっ……た……」
「……良くない! このバカ‼ あたしを助けてカッコよく死ぬつもり⁉」
「次の攻撃が来る……逃げて」
「嫌だ! あたし……アンタが死ぬなんて! 一緒に生きて帰って! まだ話したいことが山ほどあるの‼」
「そんなの、僕だって同じだ……! でも、最期に君を助けられて、良かった」
じゃあね、と言い終わるか終わらないかのタイミングで、災隷がもう一方の掌を振り下ろす。まずい、と思ったのも束の間、拳はあたしの方ではなくリクトの方に向かった。なぜ、と思ったその時、リクトの隠密のアンセムがいつの間にかあたしに施されていることに気づく。確かにそうすれば、崩壊の災隷はあたしの生存に気づかず、さっき半身を潰したリクトをあたしだと思い込むだろうが……。そこまで察した時には、すでに手遅れだった。
リクトは、あたしの目の前で、完全に叩き潰される。
「あ……あぁ、あああぁぁぁぁ‼」
カタチにならない思いがあたしの中で暴れ出す。ただただ泣き叫ぶしかできない。どれだけ泣き喚いても、崩壊の災隷が――リクトの仇が、あたしに気づくことはない。やり場のない感情はすぐに怒りに収束した。あたしはまだ生きている。そして、あたしからリクトを奪った仇もまだ生きている。ならば、立ち上がらなければ――こいつは、あたしが祓う。どんな手を使っても、あたし自身の手で、絶対にだ。さっきのような失敗はない。
そう決意した瞬間、あたしの中に今まで感じたことのない荒々しい力が目覚めるのを感じた。今まで扱ってきたアンセムの力とはまた違う、それらすべてを包摂するような莫大な力。アンセムの力なのは確かだが、もっと方向性の定まっていないナニか。あたしはそれが何であるか、誰に教わったわけでもないはずなのに知っていた。いつも、あたしの向上心を支えていた心の声が、答えを教えてくれた。
「『エゴ』のアンセム……」
あたしの中に、この力の持つ意味が、そしてその扱い方が流れ込んでくる。一瞬にして悟った――これはあたしの望みを叶えるための力だ。あたしが強く願うことに、この力は従う。ただ、それだけのシンプルな力。
もはや飛翔のアンセムすら必要ない。ただ、崩壊の災隷の顔面を一発ぶん殴ってやりたいと願っただけで、次の瞬間あたしは一瞬で距離を詰め、崩壊の災隷の顔面に拳を振り上げていた。
「……吹っ飛べ……‼」
渾身の一撃を喰らわせる。音すら超える速さの打撃。今までどんな攻撃でもビクともしなかった崩壊の災隷の身体が、大きくグラつく。ここぞとばかりに連打を喰らわせる。
「……消えろ。失せろ! 大人しく、土に……還れぇ‼」
あたしが怒りをこめて殴り込む度、地鳴りのごとき悲鳴を上げながら、崩壊の災隷はどんどん後退していく。だが、あたしが殴り続けたことでボロボロになった体はすぐに再生を始める。
「アンカーか……!」
あたしにも、災隷がどこから力を得ているのかがはっきりと分かった。あたし達が使うアンセムの力とは似て非なる力が、大地から大型アンカーを通じて災隷に供給されている。つまり、これを潰せば崩壊の災隷はエネルギー源を失う。
大型アンカーに接近を試みると、崩壊の災隷は再生が済んでいないにもかかわらず必死で抵抗してくる。これまで以上に密度の高い岩石弾に加えて、地面から鋭利な石柱が次々とせり出してくる。だが、もはやそんなものは敵ではなかった。
「邪魔ッ……‼」
振り向きざまに回し蹴りを繰り出すと、集中砲火されていた岩石弾は一斉にはじき返され、林立して行く手を阻んでいた石柱も全て薙ぎ払われる。アンカーまでの最短ルートが開けた。
「それほどこのアンカーが大切みたいね……。
で
も残念、今からたたっ壊してあげるから‼」
あたしは地面に深々と刺さっている大型アンカーにアッパーカットを喰らわせる。すると今度こそアンカーの機能は一発で停止し、災隷への力の流入が感じられなくなった。それに、災隷の再生スピードも明らかに落ちている。むしろ、再生が追い付かずに弱っていっているようだ。
今なら祓える――。
ア
ッパーカットで宙に舞い上がった大型アンカーの先端を、災隷に向けて振りかぶる。
「あたしの大事な人を奪った償い、してもらうから」
渾身の力をこめてアンカーを投げつける。崩壊の災隷は何重にも盾を作って受け止めようとするが――
「その程度で……あたしの怒りが! 受け止められるわけないでしょうがッ……‼」
石ころの寄せ集めの盾など、一点集中の攻撃を受け止めるには脆すぎる。投げつけたアンカーは、十数枚の盾と崩壊の災隷の腹を一気に貫いた。
〈グオオォォォォォォ‼‼〉
災隷は今までにない絶叫を上げ、だがそれもだんだんと弱まっていく。同時に体を構成する岩石が脱落していき、地面に落ちた岩石も砂となって崩れていった。他の災隷を祓ったときと同様に、あとには何も残らない。
「終わった……?」
地上に降り立ち、呆然と周りを見渡す。激戦
の跡、あたしの周りには誰もいない。口うるさい同級生も、かけがえのない幼馴染も。
「リクト……‼」
激しい戦闘のせいで、あたり一面は完全に更地になっている。彼がどこで死んだのかもまるで見当がつかない。それに、分かったところで亡骸など見つかるはずもない。あたしは力なく跪き、思わず嗚咽を漏らす。
戦いには勝ったが、失ったものが大きすぎる。リクトのことが好きだって、
自信を持って言えるようになったばかりなのに。一緒に生還して、まだまだ話したいこともいっぱいあったのに。
「あたしを一人にしないでよ、バカ……!」
とめどなく流れ出る涙は、止まる気配がない。もう一度だけでいいから、リクトと会って話したい――なんて、我儘が過ぎるか。
……い
や、「我儘」? 我儘だって願いのひとつだ。さっきまで使っていた「エゴ」のアンセムならば、死者を蘇らせることだって可能なのでは?
試してみる価値はある。あたしは全ての意識を、一つの願いに集中させる―
―い
や、それはもはや願いを超えて、祈りだった。
「もう一度だけ、リクトと会いたい……‼」
あたしの中の「エゴ」の力が次第に高まっていくのを感じる。旋風が巻き起こり、あたしが跪く地面には光輪が何重にも浮かび上がる。
そして祈りと力が最高潮に達すると同時に、閃光が弾けた。
ゆっくりと目を開け、顔を上げる。目の前には――誰もいなかった、が。
「……僕も、同じ思いだったよ。アマネ」
不意に背後から聞き慣れた声がかかる。振り向けばそこには、五体満足なリクトが立っていた。
「リクト……りくとぉ‼」
彼の名前を呼ぶ。呼んだつもりが、あふれ出した涙のせいで言葉も切れ切れになってしまった。多分あたしは酷い顔をしているだろう。でも、そんなことに構っていられるもんか。なりふり構わずリクトに抱きつく。ちょっと驚いたような顔をしたが、リクトも優しく抱きしめ返してくれた。
「あいつに叩き潰されて、全部が真っ暗になった。無限に沈んでいくような気分だった。でも、アマネの声が聞こえた気がしたんだ。また会いたいって。その声はだんだん大きくなって、気づいたらここにいた」
「そんなこと、どうだっていいから! 今はただ、また会えて嬉しいの‼」
「それは……僕だって‼」
なんの祝福もない、つい先ほどまで戦場だった場所。あまりに激しい攻防戦の末、草木の一本も残らない荒れ地だけが残った。そんな空虚な空間のど真ん中に、二人きり。
「ねぇ、リクト」
「なに?」
リクトに言っておかないといけないことがあるのを思い出した。
「あたしも、リクトのことが好きだった……‼」
「……やっと、答えが聞けた」
荒れた大地も、虚ろな風も、何もかも関係ない。あたし達は自分自身で掴み取った今に誇りを持てる。それが何よりの祝福だった。
あたし達は抱擁を交わし、静かに唇を重ねた。
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