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日本参戦


奈良岡聰智(二〇一五)『対華二十一カ条要求とは何だったのか』名古屋大学出版会が面白かったので、それを中心に日本が第一次世界大戦に参戦するまでをまとめてみた。




・戦前の状況


 日英同盟の改訂が日英関係に影を落とした。日英同盟はロシアとの闘いに備えて結ばれ、日本にとって重要なものだった。第三次改訂で、日英どちらかと仲裁裁判条約(両国間の紛争を国際裁判所により解決することを約束した条約)を結んでいる国は同盟対象外となった。米国は英と仲裁裁判条約締結交渉をしていたので、米国と戦う際に英は日を支援しないことになった。日本は満州・中国権益をめぐり米国と敵対しており、日英同盟は、日本にとって軍事上の義務を伴わない協商のようになった【黒野(二〇〇四)一四七~一五二】。こうして、日英同盟の価値は低下した。


一方で、日本が満州(中国東北部)に持っていた利益をめぐる問題、すなわち満州問題も続いていた。一九〇五年、日露戦争の講和でポーツマス条約が結ばれた。このとき、日本は「旅順口、大連並其ノ附近ノ領土及び領水ノ租借權及該租借権に關聯シ又ハ其ノ一部を組成スル一切ノ權利、特權及び讓與」(五条)、「長春(寛城子)旅順口間ノ鐵道及其ノ一切ノ支線並(中略)炭抗」(六条)【外務省(一九六五)二四六】などを得た。これらが満州権益である。だが、関東州(山海関より東の地域)や南満州鉄道(この鉄道を運営するのが南満州鉄道株式会社、いわゆる満鉄)は租借期限延長の規定がなく、そのための日中交渉が外交上の大きな課題になった【奈良岡(二〇一五)二、三】。特に、一九〇五年日清満州に関する条約(いわゆる北京条約)附属協定六条では、安東と奉天間の鉄道(安奉鉄道)は「即光緒四十九年(筆者注一九二三年)ニ至リテ止ム右期限ニ至ラハ(中略)淸国ニ賣渡スへシ」【外務省(一九六五)二五五】とあり、返却は目前に迫っていた。一九一一年に清国は滅んだが、中華民国になってもこの満州問題は続いた。日本は日露協約で南満州・東蒙古(満蒙)を勢力圏に定めたが、当地に中国の主権がある以上、満州権益は回収されかねなかった【有馬(一九九九)七七】。




・参戦決定まで


 当初、英国は日本を戦争に巻き込むつもりはなかった。八月一日に英国外相エドワード・グレー(以下グレー外相)は、在英日本大使井上(以下井上大使)に㊀ドイツ軍は青島に少ししかおらず東洋平和は乱さないので、日英同盟は適用しない。㊁英はベルギーの中立がドイツに侵されれば参戦する。と伝えた【『日本外交文書』大正三年第三冊(以下T三-三)三二】。この内容は二日に日本の加藤高明外相のもとに届いた【同】。グレー外相は自治領、米国が日本の太平洋進出を恐れており、彼らの感情を害したくなかったとのちに回想している【グレー(一九三二)二七一、二七二】。三日、加藤外相は、在日ドイツ大使に、ドイツが香港を責めない限りは、日英同盟を適用せずに厳正中立をとる、と述べた【T三-三  九四】。また、在日英大使グリーン(以下グリーン大使)には英の態度決定まで待つと述べた【T三-三 九八】。


しかし、日本は参戦を決定した。四日、グレー外相からグリーン大使に、香港・威海衛(英が中国に持っている勢力圏)がドイツ軍に攻撃された場合、日本からの援助を頼むと連絡があった【同九六】。この電報が閣議中に届いた【同九五】。日本はこれを受けて、同日の外務省公示で、中立を守りたいが、「日英協約の目的或イハ危殆に瀕スル場合ニ於テハ日本ハ協約上ノ義務トシテ必要ナル措置」を取ると述べた【同九九】。五日、英独開戦が加藤外相に伝えられ、加藤外相から元老(政界引退後も勢力を持った明治維新の功臣たち。井上馨、山県有朋、松方正義、大山巌)・閣僚・参謀本部・陸海軍に伝えられた【同一〇〇】。七日、グリーン大使から日本に対し、英国商船を攻撃しているドイツ仮装巡洋艦を攻撃してほしいと頼まれた【同一〇二 ここには、日英同盟にあたる英語がない。】。ついに八日、日本は日独開戦に内定し、日英同盟に基づく参戦を英に申し出た【同一〇六、一一〇】。加藤外相は、ドイツが自分から膠州湾(ドイツが中国に持っている租借地)を返還したり、中国が参戦して自ら取り返したりする前に、日本が膠州湾返還を宣言することで、日本の満州権益を認めさせようとしていた【山室(二〇一二)四九、五〇】。


しかし、英国は日本の参戦を恐れた。在中英国公使ジョルダン(以下ジョルダン公使。公使とは大使より下の外交官)の提言―日本の軍事行動が中国、東アジアの混乱を起こしそうだ―を受け、九日にはグレー外相がグリーン大使に宣戦見合わせを伝え【T三-三 一一三】、十日は井上大使に直接伝えられた【同一一六】。加藤外相は井上大使に、日本が「重大ナル変更ヲ加フルコト能ハサル立場」なので英も開戦に同意してほしい、と伝えるよう命令した【同一一四】。日本の懇願に対し、グレー外相は、日本が開戦を取りやめると反独感情が強まっている国民が騒乱を起こすだろう、と閣僚に理解を求めた【同一二二】。最後には、グレー外相は、「日本国ガ之ヲ防禦センガ為に開戦スルノ已ムヲ得サル」を了解し、「日本国ガ日英同盟協約ニ依リ開戦スルコトニ」同意した【同一二二】。こうして日本の依頼でわざわざ英が日本の参戦を頼むこととなった。




・結果


日本は参戦の際に余計なことをした。日本は膠州湾の返還を掲げ、ドイツに最後通牒を突きつけた【T三-三 一四五】。加藤は、膠州湾を占領してドイツが戦争を終える前に、先に中国と、日本のドイツ権益継承について交渉することにした。その際に、満州権益などについての要求や、希望条項などを含めた膨大な対華二十一か条要求を行った【加藤(一九一八)十二、二十一~二十四】。しかし、五項あるうちの五番目の希望条項を隠したまま列強に通知し、のちに英の不信を招いた【奈良岡(二〇一五)二一四~二一八】。


まとめ 


㊀英国の要請にこたえ、満州権益問題を解決するために参戦した。途中取りやめられたが、しぶしぶ英に参戦を認めさせた。


㊁戦後は英国の不信を招き、中国との対立を深め、満州権益問題は残った。




参考文献

浅野豊美(二〇一四)「帝国日本の形成と展開-第一次大戦から満州事変まで」大津透ほか編『岩波講座日本歴史 17巻 近現代3』岩波書店


有馬学(一九九九)『<日本の近代4>「国際化」の中の帝国日本 1905~1924』中央公論新社 


池田十吾(二〇〇二)『第一次世界大戦期の日米関係史』成文堂


エドワード・グレー著・石丸藤太訳(一九三二)『グレー回顧録』日月社


外務省(一九六五)編『日本外交年表並主要文書』上 原書房 


同(一九六六)編『日本外交文書』大正三年第三冊 外務省


加藤高明(一九一八)「大正4年に於ける日支交渉の顛末」『學友會誌』二十一号 京都帝國大學々友會


黒野耐(二〇〇四)『大日本帝国の生存戦略』講談社


奈良岡聰智(二〇一五)『対華二十一カ条要求とは何だったのか』名古屋大学出版会


山室信一(二〇一二)『複合戦争と総力戦の断層-日本にとっての第一次世界大戦』人文書院





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