山里より
- meishomitei
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『山里より』(2025NF企画本)
唐草伊於
お盆から九月の連休にかけて忙しい時期を越えて、昼間でもちょっと一息つけるぐらいになってきた。山あいで標高が高いということもあり、早くも朝晩の冷え込みが始まっている。からっと晴れると日中は過ごしやすい、そんな季節だ。
今日のような普通の土日の昼過ぎは、近場から来た中高年の夫婦やツアー客が多い。
昼営業を始めて早々、珍しく若い顔ぶれの来店があった。座敷の卓袱台は六人には小さいので、隣り合わせのふたつに分けて案内する。男女混ざったグループで、入った順に席について和やかに話していた。
水を注いでいる間に、奥から叔母が出てきた。メニューを出すついでにお客さんに話しかけるのはいつもの光景だ。
叔母の明るい声が響く。おしゃべり好きなのはいいが、同年代ならともかく親子ほども年の離れた人たちには引かれないだろうか。そう思って気にしていたが、お客さんたちは終始にこやかだ。
「そうなの! 遠いところからせっかく来てくださったから、おいしいもの食べてってね」
うちはこれが人気よ、と看板メニューを宣伝するのも忘れない。
各テーブルで仲良くメニューを眺めていた。夏休み中の大学生だろうか。私の二つ三つ年下ぐらいだ。お決まりですか、と声をかけると、一番手前の、グループの中では年上っぽい女の子がてきぱきと全員分の注文をまとめてくれた。冷たいお蕎麦が二つ、煮込み汁とお蕎麦のセットが三つ、丼が一つ。暑くも寒くもないこの時期が、一番注文のバリエーションが多い。具沢山のお蕎麦単品と、二種類の郷土料理を一度に食べられるセットは迷うところだよなぁ、と思いつつ厨房に伝える。
出汁と醤油のふくふくとした香りが乗った湯気に包まれた。蕎麦をゆでる大きな鍋がぐらぐらと沸いている。こんにゃくを浸した中鍋が三つぐらい置かれている。物心ついたときから見慣れた景色だ。湯気の向こうに見える母のエプロンの花柄も。父は仕込みだけして町内の組合の定例会に行った。
「若いお客さん、関西からだってね」
「まあ珍しい、友達同士で旅行かな。さやかと年近そうね。話してみたらええのに」
関西か。中学校の修学旅行で京都・奈良を回ったときのイメージだ。大きい街にたくさんの観光地があり、見慣れない景色が旅行の非日常さとあいまって鮮やかに映った。他所からここに来る旅行客もこんなふうに景色を心に刻んでいくのだろうか。そうだといいな、と思う。
蕎麦を引き上げ、刻んだ山菜を盛り付ける。つゆをかけて盆に載せた。煮込み汁は木のお椀にたっぷりと。味が染み込んだ里芋が崩れないように整えて、ねぎを添える。
お盆を持って表に出ると、少し店内が明るくなっていた。雲間から陽が射しているらしい。
「わー、おいしそう!」
「ええ匂いするわぁ」
お客さんの反応に「ですよね!」と言いたくなる。
窓際の卓にはやわらかい陽光が溜まっていた。この店の中で私の一番お気に入りの場所だ。店の裏手のせせらぎの音が聞こえ、たまに電車が橋を渡っていく。
叔母と一緒に料理を運び終え、「ごゆっくりどうぞー」と立ち上がる。
お客さんたちは料理の写真を撮っていた。スマホでもデジカメでもなく、立派な一眼レフカメラだ。大学の写真サークルか何かなのかもしれない。それぞれ個人持ちの機材のようで、大きさも種類もばらばらだった。カシャ、という機械音が続く。
一番窓側の眼鏡の男の子が、料理でも人でもないほうにカメラを構えていた。一度だけシャッターを切る。まるで、そこにある光をすくい上げるように。それから静かにカメラを置いた。
息を飲んだ。同じメーカー、型番も近い。カメラ界ではマイナーなモデルだ。でも、自然の光をうつくしく捉えてくれることを、私は知っている。
そのカメラを私も持っていた。大学を出てこっちに戻ってきて、見飽きた景色、同じ毎日が続く中、もう必要がなくなったと思って、買ったときの箱に詰めて押し入れにしまい込んだ。社会現象的に外部からの人の行き来が減り、空気が沈んでいた、そういう数年間と重なっている。
手放すことも検討したぐらいで、最近は顧みることもなくなっていたけれど。こういう何気ないものも、レンズを通せば旅人目線で見えるのかもしれない。
お客さんの食事の時間を邪魔しないように、そっと下がる。
自分がいいと思っているものが、他所から来た人の心に触れたことが少し嬉しかった。
お会計を済ませ、全員が出る準備をするまで間があったので、思い切って口を開く。
「皆さん、素敵なカメラをお持ちですね」
「ありがとうございます。私たち、高校時代の写真部仲間で旅行してて」
「久しぶりに集まって、写真を撮る会なんです」
「景色がいいところですね。撮ってて楽しい」
やはり関西弁は聞き慣れないものの、皆やわらかな口調だった。
「おいしかったな。今度は煮込みのほうも食べてみたい」「蕎麦もおいしそうやった」後ろのほうでそんな会話も交わされている。
ひとりひとり「ごちそうさまでしたー」と言いながら暖簾をくぐっていくのを見送った。
うちでお蕎麦を食べて、山の斜面に建立された寺の石段を上って、下りてきてから特産の果物を使ったソフトクリームを食べるのが定番コースだ。今日みたいに晴れた日は、山々の緑が空に映える。この景色はきっとこの人たちに気に入ってもらえるだろう。道端に咲き始めたコスモスにも気づくだろうか。
どうか、この先も旅を楽しんで。



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